北アイルランドの車泥棒

Car thief in northern Ireland


目次

  1. ロンドンの夜
  2. 北アイルランドへ
  3. 女王陛下の大学で
  4. ベルファストの夜
  5. 警察署の夜
  6. ジョイライディング
  7. 空港へ

1.ロンドンの夜

 「ロンドンは面白くない」というのが巷の通説となっている。巷というのは、あまり高尚でない趣味を持つ我々の仲間うちでという意味で、面白くないというのは観光名所が無いとか文化が無いという意味ではなくて、夜の活動に関することである。文化という点では世界の劇場といわれるように芝居好きな人には最高の場所なんだろうけど。

 まず、飲む所というとパブに限られる。確かに、いかがわしいバーもあるけれども、
「地元の人の入らない所には入るな!」(これは極めて大切!)
という鉄則に従えば、飲める場所は限られてくる。
 「ストリップ劇場も面白くありません。マジメに仕事をしていることは認めますが、女性の質とセンスが悪い」 とは、その道のプロのO氏の弁。
 性的表現に対する規制もかなりあるようで、映画とか本などでも「行為、そのもの」は巧妙に避けられているように思える。
 それに、なんといっても美人が少ない。大英帝国の発端は自国の女性に失望した男達が海外に女性を求めたことにある、というのは本当らしく思える。南仏、特に、アルルやエクスアンプロバンスでは街を歩けば魅力的な女性が「ごろごろ(W氏談)」しているが、ロンドンではこれという女性を見つけることはなかなか難しい。  また、知っての通りレストランはまずいし、あちこちの店では釣り銭をごまかそうとするし、ホテルやレストランの従業員は無愛想だし、気候と相まって人を暗い気持ちにさせるに十分である。

 「ロンドンの宿は高い」というのも通説になっている。東京のホテルが高いというけれども、設備と価格を比較すればロンドンのホテルの方がはるかに高いと思いと思う。特に、ヒースロー空港近くのホテルは最悪。小綺麗だけれど、高くて、周囲に何も面白い所がない。

 (ちなみに、私は、イギリスに長く滞在する時には空港で車を借りて田舎町のB&Bに泊まることにしている。B&Bは、いわば日本の民宿にあたる宿で、家庭的で部屋も十分に広くて綺麗だ。泊まっている人とも友達になれるし、何と言っても一泊6千円くらいと安い。立地条件は一般に良くないので車が必要だけれど、レンタカー代を払ってもホテルに泊まるよりも安いと思う。)

 また、ヒースロー空港は盗難の多い空港としても有名で、私の知人でも荷物の中身をやられた人がいる。荷物の行き先間違いも多いようだ。そんな訳で、私の仲間の間ではヨーロッパに行く際の中継基地としては、パリ、アムステルダムあたりが人気が高く、よっぽどでないとロンドンには寄らない。

 と、前置きが長くなったが、今回は目的地が北アイルランドのベルファストということでやむを得ずロンドン経由ということになった。今回の旅行の目的はそこで開催される国際会議に出席するためである。ふつう出張は一人で行くことが多いのだけれど、今回は珍しく渡辺さんという同行者がいる。旅行は一人よりは二人の方がやっぱり楽しい。

 夕方、ロンドンに着き、ピカデリーサーカスの近くのホテルに宿をとり、中華街でゴムラーメン(麺が細く弾力がある)と牛肉の細切り炒めを食べた後、お約束のパブに寄って黒ビールを飲む。上記の理由により、特にいかがわしい場所に行くこともなくホテルに戻り、健全に眠る。

2.北アイルランドへ

 ヒースロー空港から約1時間、午前10時に北アイルランドのベルファスト国際空港に着く。首都、ベルファストはここから車で30分ほどである。空港でレンタカーを借りて、
「さあ、どこへいきましょう?」
と私。
「いえ、どこでもいいです」
と渡辺さん。
渡辺さんも全く観光案内書の類の本を読んでこなかったようだ。
 仕方がないので、ともかく北に行こうということになり、一路北に向かう。

 英国の家は定評があるが、確かに道沿いの家々は美しい。特に、農家が綺麗で、庭先にはあふれるほどの花、窓にはレースのカーテンがかかり、窓辺の花とシックな置物が周囲の芝生と木々の緑に映えてみごとに調和している。小さな橋の欄干にも花が飾られている。一言でいうとピーターラビットの絵本の世界。田舎道の角を曲がると、ウサギや狐が草むらから顔を出しそうな気がする。

 2時間ほどで、海沿いの町に着く。海を見ながらしばし休憩した後、海沿いに更に北に向かう。すると、「ジャイアントコーズウェー」との表示。どうやら観光地らしい。後でわかったのだが、これは北アイルランド随一の観光地で、火山活動によってできた溶岩が海で冷えて六角柱の形をした無数の奇岩になっている場所であった。なかなか面白い景観で、「巨人の舗道」というその名の通り人工物のように見える。そこのカフェで昼食をとり、写真をとった。ここまで来るとさすがの日本人観光客もいない。

3.女王陛下の大学で

 今回の会議はクイーンズ大学(Queen's University)で開かれる。ベルファスト市街のはずれに位置する古い大学で、由緒のある、そして今回のテーマとなる分野では有名な大学である。歴史を感じさせる建物が並び、何百年も手入れを続けた芝生が綺麗である。米国の大学でも彫刻を施した古い建物を多く見たけれども、それらとは全く格が違う。

 国際会議といっても参加者が30人ほどの小さな会議で、大学内の教室を会場にした3日間の会議である。この小さな会議というのがなかなか曲者で、常に緊張してなくてはならない。これが、何百人という大きな会議だと途中で居眠りもできるし、やろうと思えばエスケープして観光していても目立たないのだけど。

 今回も、自分の発表が終わり、あまり興味の無いテーマでみんなが論議を交わしている時に油断してうつらうつらしていたら、突然
「この問題はヨシが詳しいから、彼に聞いてみよう」
という声がしてみんなが一斉に私の方を向いたのであわててしまった。

 大学の周辺には瀟洒なレストランが点在し、しかもなかなか安くて美味しい。イギリスでは、大学を作るときに優秀な教授陣を全国から集めるために、まず優秀なコックを集めたのだそうだ。そのためオックスフォード大学とかクイーンズ大学の大学町ではイギリスでは珍しく食文化が花咲いているのだそうな。逆に言うとそれ以外の楽しみが無かったということだけど。

4.ベルファストの夜

 2日目の会議が終わってから、ベルファスト市長の歓迎レセプションがあるので市庁舎に集まるようにというアナウンスがあった。レセプションは7時から始まるそうだ。ところが、会議が長引き、6時過ぎにやっと終わった。一旦宿舎まで帰ってから出かけようとも思ったが、時間が無いので大学から直接、車で市庁舎に向かう。市庁舎は町の中心街にあり、周囲に4車線の広い道路がある。市庁舎と道路をはさんだ駐車場に車を置き、ベルファストの街へと繰り出した。

 ベルファストはテロ事件で有名で、テレビニュースで爆弾テロとか撃ち合いとかを見たことがあるが、街を歩いてみるとそんな事件を感じさせないシックで美しい町並みである。車を置いた駐車場も大きな道路に面しているし、他の車もたくさん駐車していて、安全なように思えた。

 市庁舎に着くと、執事に迎えられ、大広間で待っているとやがて市長の挨拶が始まった。
「国際的な会議がここで開かれるのは名誉とするものであり・・・・」
「遠くは日本からの参加者を迎え・・・・・」
と、なかなかに格調高いので
「これは料理は期待できますね」
などと渡辺さんと話していた。

 ところが、いざ食事になると、単なる立食パーティーで、料理もサンドイッチとかポテトとか実に普通のメニュー。
「やはりイギリスには食文化が無い」
とがっかり。

 レセプションが終わったのが9時。そのまま帰るのも芸が無いので、参加者のイギリス人について近くのパブに寄る。あとで聞くと世界的に有名なパブだったそうで、古びた室内は典型的なパブの作りで、調度品は骨董品でいっぱい。人もいっぱいで座るどころか輪になって立話をする場所も無い。フィッシュアンドチップスを食べることもできず、なま暖かい黒ビールを飲みながら、「腹が減ったね」と言いながら、ベルファストの夜は更けていった。

5.警察署で

 パブを出たのが11時。駐車したところまで戻ると車が無い。周囲の様子もなんだか違っているようだ。道を間違えたのかと思い、数ブロック歩いてみたがどうも場所は合っている。てっきり、駐車違反でレッカー車に持って行かれたのだと思い、電話を探していたらそこへ警官がやってきた。

「この看板を見ろ。ここは18時から朝8時まで駐車OKと書いているじゃないか。どうして私の車を持っていったのだ!」
とまくしたてると、警官は全く動じず、
「・・・・」
と言う。
アイルランド訛りの英語なので良くわからず聞き返すと、どうやら
「お前の車は盗まれたのだ」
と言っているようだ。

 渡辺さんと二人でパトカーに乗せられ、近くの派出所に行って事情聴取を受けた。派出所といっても金網で二重に守られたものものしい建物である。そこで、本署と連絡をとって別の車でベルファスト警察署へ。

 警察署に着いて更にびっくり。高さ5m、厚さ2mのコンクリートの壁が二重にめぐらされ、要塞のような建物である。まず、外壁の鉄の扉が開けられ、それが閉じられた後に内壁の扉がものものしく開く。

「これって原子力発電所の炉室よりすごいね」
と私。
「爆弾のひとつやふたつは平気みたいですね」
と渡辺さん。

 署内に入って、盗まれたものを申告した。車だけならまだしも、会議場から市庁舎に直接行ったものだから、トランクに仕事道具である私のアタッシュケースと渡辺さんのバッグが入っていたのだ。私のアタッシュケースには電子手帳、電子手帳用の辞書カードや技術計算カード、ゲームカード各種、カードラジオ、薄型ウォークマン、カード型工具、モデム、バッテリー、カメラなどが入っている。いずれも電子立国「日本」の誇る最新型機種である。

 それぞれ、どういうふうに英語に訳したらいいか考えながら、のんびりと申告書に記入していたら、突然サイレンが鳴り赤色回転灯が点滅を始めた。事件のようだ。警察署内があわただしくなり、防弾チョッキを身にまとい、拳銃を腰にカービン銃を手にした警官10人あまりが2列編隊になって「ザッ、ザッ」と進んでくる。そのまま、装甲車に乗り込み、鉄の扉を開けて出動していった。深夜1時である。
「すごいなあ」
「これって、軍隊ですよ」
渡辺さんと私は呆気にとられながら、見送った。

 ちなみに、海外で盗難にあった時の対処の仕方を記しておくと、警察を呼んで申告し
「事件番号」
「担当警官名」
を聞いておくことが必要である。申告書には盗まれたものをできる限り沢山書いておくこと。これは後で保険の申請をするときに役に立つ。現金は保険でカバーされないので、書いてもしょうがない。できれば、事件の報告書のコピーももらっておくと保険の手続きが早い。我々の場合には、車はレンタカーなので問題なく、また盗まれたものについても、沢山の項目を申請しておいたのが役立って、後日、海外旅行保険で完全に補償された。

6.ジョイ・ライディング

 盗まれた車が見つかったという知らせがあった。見せてもらうと運転席の鍵穴の横にハンマーで打ち抜いたような直径数cmの穴が開いている。そこからロックをはずしたようだ。当然、トランクに入れていたアタッシュケースやバッグは跡形もなく無くなっている。

 車の盗難は日常茶飯事らしい。金儲けが目的ではなくて、若者たちが盗んだ車であちこちぶつけながら荒っぽい運転をしたり、レースをやったりするようだ。「ジョイライディング」というのだそうな。なるほど、見つかった車はあちこちにぶつけた跡があり、がたがたになっている。キーへの配線を直結してエンジンをかけたようだ。北アイルランド紛争にみるようにストレスの多い社会で、若者達が欲求不満のはけ口を探しているように思える。

7.空港へ

 次の日、空港へ大学の事務職員が自分の車で送ってくれることになった。日産車(ブルーバード)である。
「この車は日本製だ。とても良い」
と自慢する。
「お前達は車を持っているのか?」
「我々は二人ともホンダを持っている」
「それはすごい。私もホンダが欲しいのだが、高いので買うことができない」
確かに車雑誌を見るとホンダ車の値付けは高いようだ。

「日本で車を盗まれたことはあるのか?」
「日本だと、鍵をかけないで3年間放置していても盗まれないだろう。ここでは鍵をかけた車が3時間で盗まれる」
と文句を言った。ただ、乗せてもらっているしお世辞も言わなくちゃと思って、
「ベルファストは美しい街だ。あまりに綺麗なので安全だと思って油断したのだ」
というと、
「その通りだ。ベルファストはとても安全だ。ニューヨークを見ろ。年に数万人も死ぬではないか。ここベルファストは年間わずか3000人が撃たれるだけだ」
と答えた。
「ベルファストの人口は40万人たらずなのに・・・」
と渡辺さんと顔を見合わせた。


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