プロバンスの風になって

Like a wind in Provence


目次

  1. エクスアンプロバンス
  2. グランドキャニオン
  3. 村のホテルにて
  4. マルセーユへ



1.エクスアンプロバンス

 南仏のエクスアンプロバンスは、私が海外で最も多く訪れた町だ。10年ほど前から年に1〜2回は必ず訪れ、長いときには1ヶ月以上滞在している。第二のふるさとという程でもないけど、少なくてもここ10年は本当のふるさと(愛媛)よりも頻繁に、かつ長く滞在している。

 港町マルセーユから北東に40kmの位置にある古い町で、直径1.5kmほどの旧市街はローマ時代のまま石畳と石造りの建物が密集している。町の東にはサンビクトワール山がそびえ、セザンヌの絵そのままの赤茶けた大地が広がっている。セザンヌのアトリエは町の北のはずれにあるが、彼は死ぬまでこの町に留まって、サンビクトワール山と周囲の景色を書き続けたそうだ。確かに、明るい太陽と温暖な気候、古い街並みと陽気な人々は画家で無くても人々を釘付けにする魅力がある。

 一年中、観光客は多いが、特に夏にはヨーロッパ中から観光客が集まり、毎日がフェスティバルになる。旧市街の南西の入り口に「ルトンド」と呼ばれる大噴水があり、そこから東北東にのびるミラボー通り(クールミラボー)沿いにカフェが立ち並ぶ。道路に張り出したテーブルに陣取り、パスティスと呼ばれる松ヤニの香りのする飲み物を飲みながら何時間でも話に興じるのだ。街行く人をぼんやり眺めていたり、入れ替わり立ち替わりやってくる大道芸人たちの芸を見ているだけで、1日が過ぎていく。

 夜には、町のあちこちでコンサートやオペラが開かれる。世界的に有名なミュージックフェスティバルが毎年開かれ、結構有名なミュージシャンの名前を見ることも少なくない。何年か前には、日本の和太鼓のコンサートがあって人気を集めていた。チケットの予約の必要なメジャーなコンサートやオペラには昼間の短パンから正装に着替えて出かけていくのだが、そうでなくても無料の野外コンサートがあったり、街のあちこちにストリートミュージシャンが居て、これがなかなか質が高くて楽しめる。


 だが、何と言っても最大の楽しみはレストランである。旧市街には、いたるところにレストランが密集し、レストランだらけの街といっても過言では無い。私の試したレストランだけでも、50軒以上になるのではないだろうか。超高級レストランは無いけれども、どのレストランも高い質と妥当な値段の食事を提供してくれる。

 ただ、全てフランス化されているのが不満で、日本料理店でさえも前菜、スープ、メインディッシュ、デザートの順に時間をかけて順番に出してくる。味噌汁だけ単独で出されて「さあ、全部飲め」と言われても困ってしまう。

 ある時も、仕事で遅くなって、10時近くに馴染みのレストランに行ったら
「もう遅くて食事の時間をとれないので、注文は無理だ」
と言われた。
遅いといってもレストラン自体は12時まで開いている。順番に時間をかけて出してくるので、2時間以上かかってしまうのだ。
「われわれ日本人は三角食べをするから、一緒に出されてもOKだ」
と食い下がったのだが、わかってもらえなかった。

 ルトンド(大噴水)からミラボー通りに向かって左手奥の方に狭い路地を入っていくと、「やまと」という小さな日本料理店がある。日本からフランスにやってきた夫婦がやっていて、奥さんはキャンディーズ(古いなあ)のみきちゃん似のとても魅力的な女性だ。5年くらい前にオープンして、時々、通っていた。ところが3年くらい前に、いつも扉が閉ざされたままになった。噂に聞くと、ご主人が亡くなられて店も閉めることになったのだそうだ。言葉も不自由な状態で夫婦でフランスにやってきて、言葉を覚え、やっと始めた店が軌道に乗ったところだったのに、ご主人はさぞ残念だったろう。あの奥さんはどうしたのだろうと心配していた。

 1年半前に行ってみると、何と「やまと」がオープンしている。行ってみると、あの奥さんだ。
「あらまあ、お久しぶり」
「また、オープンしたんですね。よかったよかった」
「ええ、板さんが来てくれて、また開けることができたんです。また、ご贔屓におねがいします」

とても元気そうだ。日本人が外国でその土地に溶け込んで、その土地の人を相手に商売をするのには色んな苦労があるだろう。頑張ってまた立ち上がった奥さんに拍手を送りたい。

 今回行った時も、1ヶ月に1本しか入らないという幻のワインを持ち出してきて歓待してくれた。普段は寿司と天ぷらを食べるのだが、フランス人には「特製お好み焼き」が好評だというのでメインディッシュにお好み焼きを頼んだ。これは大失敗。お好み焼きとワインは合わないし、そもそも広島−大阪とお好み焼きの本場を渡り歩いてきたのに、フランスまで来て注文するものではなかった。

2.グランドキャニオン

 今回の出張はなかなかハードスケジュールで、月曜日の早朝にマルセーユ空港に着き、そのまま仕事先に直行して缶詰状態で金曜日まで仕事。土曜日にはパリに戻って夕方の飛行機に乗らなくてはならない。普通に計画を立てると、全く遊ぶ時間が無い。

 とはいえ、そこをどうにかするのが計画を立てる醍醐味。木曜日まで頑張って金曜日は早めに仕事を終え、土曜日のパリ発の飛行機を夜の8時頃にすれば、マルセーユ空港に夕方5時に着けば十分だ。金曜日の午後3時頃から26時間の自由時間がとれそうだ。一人旅で身軽だし、車で走り回れば26時間あれば十分に遊べるだろう。プロバンスの風になって走り回ってみよう。

 南仏というと、日本ではコートダジュールの各都市をはじめ、アルルやニーム、アビニヨンなどが有名で、エクスアンプロバンスの北のリュベロン地方から東方のシステロンなどの山岳都市は詳しい観光案内書でも何の記載も無かった。本当は、南仏の田舎町こそプロバンス地方の香り豊かなのに。ピーターメイルの「南仏プロバンスの12ヶ月」という本でリュベロン地方は一躍、世界的に有名になったけれども、まだ観光案内書に名前すら載っていない田舎町が沢山ある。

 ということで、エクスアンプロバンスから一路、東北に向けて車を走らせた。高速道路(A51)をマノスクで降り、一般道路に入って1時間。一面のラベンダー畑の中を通り抜けてムスティーという焼き物で有名な街に着いた。

   ムスティーは面白い町だ。遠くから見ると、ごつごつとした岩肌を持つ山にしか見えない。その岩肌の窪みに赤茶けた建物が密集している。この地方はこの町のように、小高い岩山の上に作られた要塞化した町が多い。民族の通り道だったので、戦いに備えて不便だけど安全な岩山に町を作ったのだ。


 細い坂を登って町に入ると、意外な広さに驚く。昔ながらの路地は車も入れない細さだけど、いくつもの路地が入り組み、迷ってしまいそうなくらいだ。

 この町は昔からムスティー焼きという南仏を代表する焼き物で有名で、町のあちこちに陶器屋さんが軒を並べている。通に言わせるとこのムスティー焼きは「実に良い」というのだが、一見するとぼてっとした田舎風の焼き物にしか見えない。確かに、白っぽい陶器を指で弾いてみると「キーン」という高い音がして、かなり高温で焼いた緻密なものであることが伺えるし、手書きの絵はなかなか味がある。ただ、直径20cm程の皿に数千円もかけるのはちょっと勿体ない感じ。


 この町には多くのホテルがあるが、できる限り田舎に行くのが今回の目的だから、夕方5時には再び車に乗り込み、東南へ向かう。30分ほどでステクルワ湖という大きな湖に出た。アルプスからの水はベルドン川を通ってこの湖に流れ込み、そしてエクスアンプロバンスの手前でデュランス川と合流して地中海へと注ぐのだ。夏に休暇をとってこの湖でカヌー遊びをするのが楽しみだと仕事仲間のフランス人は言っていた。

 湖で左折して、ベルドン川に沿って東に向かうと、道は登りになり急に細くなる。フランスのグランドキャニオンと呼ばれるベルドン渓谷の始まりだ。アメリカのグランドキャニオンと同様に川が山肌を深く削った谷が続く。深いところでは1kmくらいの深さがあるだろうか。アメリカのグランドキャニオンとの違いは、岩肌が白く、山が緑で覆われていることくらいで、なかなか雄大で、壮観だ。

 時刻が遅いこともあって、すれ違う車も皆無だ。後で聞くと「山賊が出る(^^;)」そうで、夕方から夜間のドライブは勧められないとのこと。しかし、こういう雄大な景色は、一人きりで味わいたい。誰も居ない絶壁の上で夕日が沈むのを見ていた。


 

3.村のホテルにて

 日暮れた山道を延々とドライブして、夜の8時にコムシュアルツという村に出た。数十軒の家が集まった小さな村だ。地図を見ると、この村を過ぎると当分、人家は無さそうだ。村に1軒のホテルがあり、聞いてみると空室があるというので、今夜はここに泊まることにする。

 ごく普通の田舎の宿という感じのホテルだが、部屋に入ってパンフレットを見ると250年以上の歴史があるようだ。どうやらここは昔の街道沿いらしく、宿場町として長年の歴史があるのだろう。


 右の写真は、1737年のホテルの写真と現在のもの。昔の馬小屋は現在はガレージになり、建物は2階建てになっているが、バーの様子などは昔のままだ。日本では、たった50年の歴史を持つホテルでも老舗と呼ばれているが、こんな山の中のホテルが250年の歴史を持つのだからヨーロッパは深い。


 ホテルの部屋に入って、いつものように電話線を確認した。ヨーロッパでも最新型のホテルは日本式のモジュラージャックになっており、そのままモデムに挿入できるものが多くなったが、さすがにこんな田舎ではそれは無理。それどころかモジュラーにもなってなくて、壁に直接、電話機が取り付けられていた。申し訳ないけれど、7つ道具で分解し、パソコンに接続した。

 マルセーユのノードからインターネットに入り、メールを送受信して、朝日新聞とCNNの記事をまとめてダウンロードした。こんなフランスの片田舎で日本の最新ニュースが読めるのだから便利になったものだ。


 そのままパソコンを持って、1階に降り、レストランに入った。フランスのレストランは上でも書いたようにディナーを注文すると2,3時間かかる。連れがある時には良いが、一人きりの時は時間を持て余してしまう。そこで、食事をしながらゆっくりとメールを読んだり、ダウンロードしたばかりのニュースを読もうというのだ。

 レストランにはアメリカ人らしき男女のグループ10人と、年輩の夫婦が1組、男の二人連れが1組いた。

 ウェイターのオススメ通りのコース料理を注文して、このあたりで一番美味しいというワインを飲み始めた。このワインというのが実に美味しくて料理も期待できるなと思っていたら、案の定、すごく美味しい。このあたりで採れるという川エビのソースをかけたパイ、サラダのドレッシング、ハーブの効いた羊の肉は、エクスアンプロバンスのレストランに優るとも劣らない。こんな田舎町で、これだけの料理を食べられるのだから、う〜ん、ヨーロッパは深い...

 ウェイターは20歳くらいの若者で、上手に英語を話す。注文の時だけでなく、途中に何度も私のテーブルにやってきて「味はどうだ?」とか「このワインは...」と説明してくれる。最初、1人だけの私に気を遣ってくれるのかと思っていた。ヨーロッパの高級レストランに一人で入ると、このようにシェフやウェイターが話相手になってくれることがある。普通、ディナーは男女のペアかグループで摂るものであり、一人だと話し相手が無いので時間がもたない。そこで、サービスの一環として話相手になってくれるのだ。

 ところがそうでは無くて、この若者は私の持っているパソコンに興味を持ったようだ。何度か来た後で、
「どうやってインターネットに接続しているのだ?」
と質問してきた。

 ダウンロードしたニュースを読んだりホームページの更新をするためにネットスケープを動かしていたので、繋がっていると思ったらしい。日本ならデータスコープのおかげでどこでもインターネットに接続できるけれども、残念ながらフランスでは電話線でしか繋がらない。ホテルの部屋から電話線で接続していることを説明し、「インターネットに興味があるのか?」と聞いてみた。

 すると、学校でやったことがあって興味を持っていること。是非、家からインターネットをやりたいのでパソコンが欲しいこと、こんな小さなパソコンがあるとは知らなかったことなどを話してくれた。

 聞くと、若者は代々続くこのホテルの跡とり息子で、卒業してから祖父と父親の手伝いをしているとのこと。将来は当然、料理を学んでこのホテルを継いでいくつもりだそうだ。こうして250年間、代々、同じように結婚して同じように料理を学び、ホテルを守ってきたのだ。

 右の写真は、祖父と父親、そして若者だ。250年前に撮った同じような3代の写真があったが、みんなよく似ている。

 

4.マルセーユへ

 次の日は、朝、早く起き、香水の町グラースに向けて出発した。

−つづく−

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