日本山岳耐久レース 2000

Japan Mountain Marathone Race 2000


目次

  1. はじめに
  2. 試走会
  3. スタート
  4. 第一関門へ
  5. 第二関門へ
  6. 第三関門へ
  7. ゴール
  8. 打ち上げ会
  9. おわりに

1.はじめに

日本山岳耐久レースには2種類の人が参加しているといいます。スピードを競うランナータイプの人と、登山で鍛えた山屋さんタイプの人と。確かに、短パンにTシャツ、ランニングシューズを履き最低限の荷物を持ったランナーたちと、厚手の服を着て登山シューズに重装備の荷物を背負った山屋さんとは明らかな対照をなしています。

しかし私は、敢えてもう1種類の人が居ると言いたい。即ち、ランナーでも山屋さんでも無い、「普通の人」です。

このホームページは、ごく普通の人が、日本で最も過酷と言われる「日本山岳耐久レース」に無謀にも挑戦し、完走を果たした汗と涙の記録です。普通の人であっても、十分な準備と、少しの体力と気力があれば、完走の喜びを味わうことができるのだということをお伝えしたいと思います。

もし、このページを最初に読む人がいらっしゃったら、是非、山岳耐久レース1999の記録を先に読んで頂きたいと思います。そちらの方にこの物語のプロローグと背景を書いてありますので。


2.トレーニングと準備

1999年のレースに玉砕した我々は、2000年のレースに向けて周到な(?)トレーニングと準備を進めました。まず、日光や尾瀬のハイキングから始め、8月初旬には富士山登山を敢行しました。週末には茨城県を代表するハイキングコース、袋田から男体山のルートを縦走しました。「遊んでいるだけ」という批判はありましたが、最後の一線で私たちは真剣でした。

更に、本番コースの第2関門からゴールまで32kmを実際に荷物をしょって歩いてみました。右はその時の写真です。

長距離走においては、奥村の第1法則

「人間は走ったことがある距離しか走れない」

は極めて重要です。本番で72kmの山道を走破するためには、少なくとも40km以上の山道を事前に歩いておくことが必要です。あまり直前では、疲れが残ると考え、ちょうど1ヶ月前の9月9日に試走会を催しました。


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厳しい残暑の中、二人が脱落しました。左の写真は、大ダワで脱落し、残りのメンバーと別れを惜しんでいる富澤さんです。しかし、残りのメンバーは、みごと完走しました。

サポータの朋美さんと彩織さんに感謝です。疲れて帰ってきた我々を迎えてくれた、豚汁とリブステーキ(この組み合わせはシュール)は、体に染み入るほど美味しいものでした。


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形から入る我々は、試走会の経験をもとに山岳耐久用グッズを買い漁りました。ゴアテックスの雨具をはじめ、クッション付きステッキ(クッションがあることで下りでの腕の疲れが格段に違います)、軽くて底のしっかりしたトレッキングシューズ、リチウム水素電池を用いた軽量で高照度のヘッドライト、吸湿速乾性に優れた軽量なシャツとパンツ。我々がグループで買いに行った山岳用品店は、短時間で一日分の利益をあげたほどです。


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足の痛みのために前年のレースで涙をのんだ智くんは、完璧なサポータグッズを用意しました。勝田マラソンでも威力を発揮した、1万5千円のサポータタイツの他、足首用サポータ、膝用サポータ、腰用サポータを揃えました。

左の写真は、全てのサポータを装着した智くん。まるで、サイボーグのようでした。
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私は熟慮の末に、以下のものを持っていくことにしました。昨年は、するめやピーナッツなど、ビールのつまみとなるカワキモノを大量にバッグに詰めていたのですが、一切、手をつけませんでした。おにぎりでさえ、喉を通りにくい状況だったのです。その反省をもとに、用意したものは;

水... 3.5リットル
エネルギーインゼリー ...5個
おにぎり ... 3個
ビール ...3缶
飴玉... 一袋
菓子パン...1個
ステッキ... 2本
ゴアテックス雨具上下...1式(防寒具兼用)
長袖Tシャツ...1枚
タオル...2枚
ヘッドライト...1個(CR123Aを1個使用で3.5時間)
交換電球...1個
電池(CR123A)... 3個
MP3プレーヤー...1個(音楽は、リズムをとるのにもいいです)
同用MMCカード...4枚(CD2枚分を入れました)
地図...1枚
タイム予定表...1枚(後述)
携帯電話(ドコモ)...1台
携帯電話(J-Phone)...1台
蛍光スティック...1個
熱絶縁シート...1枚(ビール保冷用+非常用)
ティッシュ... 1個
傷用テープ...3枚

結論から言うと、水は第2関門で追加の水を補給してもらう段階で1リットル近く余っていました。今回は、曇り空で汗をかかなかったこと、途中でビールを飲んだこと、エネルギーインゼリーの水分もあったので消費量が少なかったのですが、「普通の人」はこの程度は必要と思います。エネルギーインゼリーは体力の回復に極めて効果的でした。もう1、2個あっても良かったかな。

携帯電話は、ドコモとJ-Phoneの両方を試しました。ドコモは全コースとはいきませんが、少なくとも2時間おきには通話可能で、サポーターのいるロッジとの連絡にとても役立ちました。J-Phoneは第2関門周辺では通話可能でしたが、その他は、ちょっと無理な感じでした。

ビールについては、少し説明が必要ですが、それは後日。

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3.スタート

昨年のレースでは、スタート時間に遅れるという大チョンボをした我々でしたが、今年は違います。智くんと卓ちゃん、私の3人は前夜は立川駅前に宿を取り、十分に休養を取りました。駅前の歓楽街のさまざまな誘惑にも負けず、夜の12時には床に就いていたのです。エライ!

オグリさんは、早朝5時15分に車で東海村を出発しました。前年のような高速道路の渋滞を見越して、早めに出発した訳ですが、殆ど渋滞らしき渋滞は無く、8時半には会場に着いてしまいました。まだ、スタートまで5時間もあります。昨年は、スタート時間に遅れ、今年は会場に一番乗りという極端さは、相変わらずです。

雨を心配していましたが、前夜の天気予報では、レース両日は曇り時々晴れという予報でした。安心していたのに、当時の朝の天気予報では「曇り後雨」に変わっていました。どうやら嵐男のオグリさんが、早朝から会場に乗り込み、雲を呼び集めているようです。迷惑なことです。

スタート前。全員で揃って気合いを入れました。出走メンバーは左から、榊さん、超人前川さん、神藤さん、卓ちゃん、富澤さん、風海くん、美恵子さん、智くん、千代さん、オグリさん、そして私の11人です。


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4.第一関門へ

午後1時、号砲とともにスタートです。山に入る直前では、町の人が舞台を作り、ひょっとこ踊りで応援してくれました。折角ですから一緒に記念撮影。さあ、がんばるぞ。

昨年は、今熊神社の石段を上がりきったところで一休み、入山峠で一休みと頻繁に休んでいましたが、今年は違います。ゆっくりですが、コンスタントなスピードで距離を稼いでいきました。入山峠を1時間42分で通過。休むことなく、更に登っていきました。


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市道山分岐を3時間で通過。なかなか調子がいいようです。もう少し早いペースでも大丈夫そうですが、先は長いのです。わざと、ゆっくりとしたペースに落とし、登りの歩幅も小さめにして、膝や腰に無理をかけないように心がけました。醍醐丸の手前でヘッドライトをつけるついでに少し休みました。エネルギーインゼリーで早めに補給。ガス欠には注意しないとね。それから殆ど休むことなく、醍醐丸、連行峰、三国峠を過ぎ、6時間43分で第一関門に着きました。

ロッジと連絡をとって他の人の様子を聞くと、神藤さんは、6時間8分。オグリさんは6時間15分に第一関門に到着したようです。二人は、前半にダッシュすると宣言していたのですが、その通り、少し早めのペースで進んでいるな。風海くんと美恵子さんもそれに引き続いて到着し、既に第2関門に向けて出発した後でした。

智くんと一緒に第一関門で休憩中をパチリ。疲れと喉の渇きが無いせいか、ビールの旨さがいまいちです。智くんは、万全のサポータにもかかわらず足の痛みを訴えていましたが、昨年と比べればはるかにマシ。気合いも入っています。

なお、榊さんは6時間50分、千代さんは7時間6分で第1関門に到着し、時間的には完走ペースでしたが、足の痛みのために、残念ながら第1関門でリタイア。ずっと遅れていた富澤さんも途中でリタイアしたようでした。


5.第二関門へ

第一関門を過ぎると前後の人影もまばらになり、うっそうとした森の中を独りで登っている状況となります。土俵岳の坂を登り終えてふと後ろを見ると、真っ暗な中に点々とライトが見えました。ライトの数だけ苦しみがあるのだなあ、これが人生だなあと、つまらぬ事を考えつつも、足だけは無意識のうちに前に進むのが不思議です。

笛吹峠を通過し西原峠までの笹尾根は、とても快適な道です。かといって、あまりスピードを上げて体力を消耗しては、この先に待つ三頭山の登りが大変です。このあたりが、昨年出場の経験でしょうか。コンスタントなペースで体力を維持し、三頭山の登り口に到着しました。

最大の難関である三頭山の急な登りにさしかかると、道の両側にうずくまっている人が沢山います。寝ているのか、休んでいるのかわかりません。ひどい人になると、登山道に体半分を出したまま寝ています。踏みつけないように注意が必要です。

坂を登るにつれて霧が深くなってきました。闇に射すライトが幻想的です。急坂を上りきって平坦な道を進むと、霧のむこうに赤色と白色の蛍光スティックが見えました。智くん、美恵子さん、風海くんです。三頭山の避難小屋に0時5分に到着。バッグを下ろしてひと休み。


みんな疲れは見えますが、昨年と比べれば格段に元気です。


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三頭山には、4人で一緒に到着しました。美恵子さんの調子が悪く、急いで登ると吐きそうなるというので、ゆっくりとしたペースで登りました。みんなで並んで記念撮影。


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三頭山からの長い下りを終えて、蛸口峠を通過。再び坂を登ります。4人一緒に、私が先頭になってペースを作りました。第2関門は目前と思ったのに、意外と急な坂です。いつまでたっても第2関門に着きません。やっと舗装道路に出て、これで第2関門到着だとほっとしたのも束の間。係員の人が立っていて、月夜見山はまだ先だと、親切にも(!)山道の方を指示してくれました。

月夜見山への最後の坂を登ります。私はペースを抑えてきたせいか、足の痛みも疲れも無く、絶好調です。この調子だと、完走間違いないと思ったその時です。油断したのでしょうか、月夜見山から第2関門の舗装道路へ出る直前の急な下りで足を滑らせ、木の根っこに足を挟んでねじってしまいました。この下り坂は、他にも転倒者が続出している要注意箇所だそうです。

右の写真はその再現写真です。左足がすっぽり根っこに入り、全体重で捻ってしまったのです。しばらく唸った後、歩き始めましたが鈍い痛みがあります。捻挫したのでしょうか。しかし、どうにか第2関門には午前3時14分、14時間14分で到着しました。4人同時です。

なお、この時、超人前川さんは既に12時間でゴールインし、ロッジで休んでいたそうです。また、神藤さんは足首の故障のため、第2関門手前でリタイア。少し遅れていた卓ちゃんは三頭山の避難小屋で、レトルトカレーを体で温めておにぎりにかけて食べていたら時間が無くなって、第2関門に制限時間に遅れること9分(15時間9分)で到着。残念ながら棄権となりました。


6.第三関門へ

第2関門で、1.5リットルの水を補給。ちょっと長めの休憩(20分)をとり、出発しようとすると左足首が鋭く傷みます。休んだのがかえって良くなかったのかもしれません。この状態では、とても完走は無理です。私は、みんなに先に行ってくれるように頼み、ステッキで左足をカバーしながらゆっくり歩いてみることにしました。

御前山までの長いだらだらとした登りは、痛めた足に適当です。歩いているうちに疲れが痛みに勝り、どうにか普通に歩けるようになりました。ここまで来たのです。レースの後、足がどうなろうと、行けるところまで行こうと決心しました。

御前山の手前で岩場を登ります。草が伸びていて、ヘッドライトだけでは道がはっきりしません。暗闇の中、一歩、踏み出そうと思ったら、地面がありませんでした。よ〜く確認すると、そこは絶壁になって、はるか下に地面が見えました。このコースで、滑落者や怪我人が出ないのが本当に不思議です。

御前山からの坂を降りて大ダワの避難小屋まで来たところで、美恵子さん、智くん、風海くんに追いつきました。みんなは私がリタイアしたと思っていたらしく、私の姿を見て大喜びです。美恵子さんはこの時、「絶対、完走するんだ!」と固く心に誓ったそうです。

雨が本降りになり、疲れた体をうちます。地面には水たまりができ、急な登山道は川となっています。泥だらけの靴は滑りやすくて、ステッキの補助が必要です。冷たい雨に濡れた手と足の先は感覚がなくなってきました。

大岳山からは富士山を遠望できます。富士山の手前に奥多摩の稜線が広がっています。あの稜線を夜を徹して走破してきたのだと思うと感無量です。


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大岳山の岩場が最後の難関で、ここからは基本的に下りです。御岳山への岩場の道をステッキを駆使しながら下りていきました。御岳山に近づくほどに道は良くなり、第3関門手前の水場のあたりから、広い遊歩道になります。水場では、コップ1杯の水を飲んで先を急ぎます。バッグの中には1.5リットル以上の水が残っているので補給の必要はありません。第3関門を午前9時33分、20時間33分で通過。

雨に打たれながら黙々と歩いていたら、係員のおばさんが心配して「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。少し辛そうな顔をしていたかなあと反省。御岳山の旅館街は一般の人も居ますから、格好良く歩いていきたいものです。顔を上げて元気に歩いていきました。体は疲れてるし、手足の感覚が無いし、痛めた足首に違和感がありますが、それよりもゴールに向かっていることが嬉しくてなりません。あと3時間以上あるので、十分に制限時間内に辿り着くでしょう。沿道のおばさんの「頑張ってね」という応援に、手を挙げて答えました。

最後の日の出山への登りが意外に急で、途中で力が尽きて、一休みしました。想像以上に体力が無くなっているようです。そういえば、あの超人前川さんでさえ、日の出山の登りはつらかったと言っていたものなあ。

日の出山頂に10時10分到着。金比羅尾根は2時間で下れると聞いていたので、1時までに余裕でゴールできる筈です。でも、泥だらけの道に思わぬ時間がかかるかもしれません。最後に走らなければならないことも予想して、日の出山頂で残っていた水や食料を処分して身軽になりました。

途中で、風海くんと美恵子さんに再び追いつきました。しばらく急ぎ足で下っていると、「あと、5km」という垂れ幕がありました。時間は、1時間半以上残っています。もう、ゆっくり歩いても大丈夫そうです。三人でのんびりと行くことにしました。

雨は降り続き、登山道は完全に谷川と化しています。最初は、流れを避けて歩いていたのですが、ころんだあげくに、下半身は泥だらけ、靴の中も水浸しになりました。こうなれば、どこを歩こうが同じです。水の流れの真ん中をじゃぶじゃぶと歩いて行きました。すると意外とラクです。水が泥を洗い流しているので、かえって滑らないのです。最初から、流れの真ん中を歩けば良かったなあと話し合っていたら、五日市の民家が見えてきました。

7.ゴール

ゴールです。23時間42分で完走です。超人前川さんの12時間7分は別格として、オグリさんは23時間25分、智くんは23時間32分でゴールしました。

足の痛みに耐えて完走を果たした智くんは、ゴールの時、感激のあまり涙が止まらなくなってしまいました。帽子を深く被り、涙をカムフラージュしていたそうです。


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全コースの距離と所要時間を図にしたものが下図です。赤丸が私の実績、黒四角が23時間25分で完走を果たしたオグリさんの実績タイムです。完走した我々のメンバー5人は全てこの間の中に入っていますので、この実績が完走ペースと言えるのではないでしょうか。

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智くんは、高度計のついた時計(SUUNTRO製VECTOR)で時間と高度を自動計測しました。その結果は下図です。コース全体がどのような起伏を持つのかがよくわかります。

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8.打ち上げ会

今回のレースのために、五日市駅から5kmほど山手にある森林村というロッジを借りました。ロッジに戻ってシャワーを浴びて、一眠りした後は、寄せ鍋を囲んで、ドリンク耐久レースの始まりです。


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深夜、宴が一段落したところで、ロッジの下にある谷川に降りてみました。水が冷たくて透明で、とても綺麗です。

喜びのあまり、谷川の河原でジャンプ。卓ちゃん(右端)は、レースでも大丈夫だったのに、このジャンプのために足を痛めてしまいました。


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右の写真は下半身裸で涼むメンバーたち。この種の写真はお約束ですね。


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9.奥多摩湖へ

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次の日は、月夜見峠を越えて奥多摩湖へ行ってみました。思い出の(?)月夜見山からの登山道が舗装道路に出るところで記念写真。


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9.おわりに

少し残念なのは、どうせなら23時間59分でゴールしたかったということです。ゲートを閉める直前には、運営係の人や応援の人など、たくさんの人が集まり、「あと1分、あと30秒」の大合唱が始まります。その中をゴールする快感というのは、なかなかのものでしょう。

最終にゴールした人は、ビリだといって卑下する必要は全くありません。むしろトップの人よりも自慢しても良いかもしれません。何故なら、誰よりも長く歩き続け、苦しみに耐えた訳ですから。

最後に完走者たちの感想を記しておきます。
「人間がひと回り大きくなったような気がする(智)」
「ああ、疲れた...(風)」
「自分が完走したなんて、まだ信じられない(美)」
「ここ10年でいちばん感激した(奥)」
「こんなレース、もう二度と出ない(小)」


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