日本山岳耐久レース 1999

Japan Mountain Marathone Race 1999


目次

  1. プロローグ
  2. トレーニング
  3. スタート
  4. 第一関門へ
  5. 第二関門へ
  6. リタイヤ
  7. 打ち上げ会
  8. おわりに


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1.プロローグ

ある日、オグリさんが赤い小冊子を持ってきました。

表紙には24時間サバイバルレース「第7回日本山岳耐久レース」と書いてあります。なんだか、すごそうです。が、それにしては、一緒に描いてあるイラストが可愛いらしくて、単なるハイキングのようにも見えます。

「どうですか?」
「これ、なーに?」
「ボクもはっきり分からないのですが、奥多摩の山でやる耐久レースみたいです」
「ふーん、何だか面白そう」
「そうでしょ!そう言ってくれると思っていました。よかった、よかった。実は、酒の席でこのレースに誘われて、つい、うんと言ってしまったのです。ひとりでは不安なので、一緒に参加してくれませんか?どうでしょうか?」

一体、どんなレースなのだろう。山岳連盟の主催というくらいだから山男ばかりなんだろうか。 電話をして様子を聞くことにしました。

「もしもし、山岳耐久レースについてお伺いしたいのですが」
「はいはい、どうぞ」
「あのう、だいたい、どんな人が出場するのでしょうか?若い人ばかりですか?」
「若い人が多いのは確かですが、年輩の人もたくさん出場しますよ」
「年輩の人というと?」
「昨年は70過ぎのおじいさんも完走しました」
「70才!」
「ええ、62才のおばさんも速かったですね」
「おばさんも!女性もたくさん出場するのですか?」
「昨年は100人あまりでしたから、約10分の1は女性ですね」

う〜む、70才を過ぎたおじいちゃんや、おばさんでも完走できるのだから大したレースでは無さそうだぞ。これは、面白そう!という訳で、みんなで出場することにしました。出場メンバーは、オグリさんを筆頭に、チシロさん、智くん、谷やん、国ちゃん、私、そして紅一点の美恵子さんです。参加費は9000円と通常のマラソンと比べて高いのですが、運営が大変なことを思えば頷けます。

申し込みをして2週間後、私のところに「1998年山岳耐久レース報告書」という小冊子が送られてきました。昨年の全出場者の記録とともに、たくさんの体験記が載せられています。表紙には、荷物を背負って駆けている出場者の写真が印刷されていました。

「おいおい、走ってるよ。これ」
「服装だって、フルマラソンの服装じゃない」
「えっ、72kmの山道を走るの?」

大騒ぎです。参加者名簿を見ると、「山岳部」「走友会」「自衛隊」「消防署」などのチーム名が主です。みんな半端ではありません。例の73才のおじいちゃんの体験記も載っていました。体験記によると、おじいちゃんは若い頃からウルトラマラソンやトライアスロンに出場している猛者のようです。
「レースの前は体の調子が良くなかったので、直前の3ヶ月は300km/月程度に走る量を落とした」と書いてありました。

「ひと月300kmというと、毎日10kmだよ!」
「体だって、年寄りの体じゃないよ!」

一方、62才のおばさんは、マラソンなどのレースを始めたのは50才前からですが、今ではすっかりプロになっていて、「今年はウルトラを中心に、フルマラソン、登山マラソン等、日曜毎に大会出場しました」と書いてありました。

さらに情報を集めました。一昨年、レースに出場した人が開いている長谷川恒男カップ参戦記 (日本最厳の耐久レース)というホームページを読むと、トライアスロンを何度も戦った人にとっても「本当のサバイバルレース」のようです。

また、東京都山岳連盟のホームページに公式の大会案内があり、大会趣旨のページには、「ヒマラヤを目指す若いクライマーの登竜門として、この日本山岳耐久レースを位置付けています」という文章もありました。

どうやら、この山岳耐久レース。フルマラソンやウルトラマラソン、トライアスロンなどに飽き足らなくなった人達が究極のレースを求めて参加するもののようです。

「ああ、すっかり騙された」
「これは暴挙ですよ」
「でも、もう9000円、払っちゃたし.....」


2.トレーニング

でも、せっかく出場するのですから、恥ずかしくないレースをしたいものです。このレースは途中に3つの関門があり、各関門で設定された時間内に通過しなかった者は、そこでリタイアを強要されます。完走は無理でも、せめて2番目くらいの関門(42km)には辿り着きたいものです。うまくいって、メンバーのうちの誰かが完走すれば、グループとしての面目は立とうというものです。

レースの一ヶ月前からトレーニングを開始しました。毎日、5kmのジョギングと400段の階段の上り下り、そして週末には、茨城県を代表するハイキングコースである月居山から男体山を縦走しました。

レースでは、危険や疲労困憊を防ぐため、最低限、以下のものを持ってスタートすることが義務づけられています。

水2リットル以上
非常食
雨具
防寒着
懐中電灯
交換用電池
交換用電球

レースを模擬するために、トレーニングの時にもこれらのものを詰めたバッグを実際に背負ってみました。おにぎりや非常食を入れるとバッグはずっしりと重くなります。食料は十分準備したいものですが、あまりに重いと、食料を食べる前に倒れてしまいそうです。

オグリさんが最も頭を悩ましたのは、缶ビールを何本持っていくかということでした。少なくては気力が出ないし、多すぎては重くなりすぎます。試走してみると、約2時間毎にビールが欲しくなることがわかりました。

「ボクは350mlの缶ビールを6本、持っていくことにしました。2時間毎にビールを飲んで12時間は頑張れます。あとの12時間は、ゴール後の乾杯を夢見て気力で歩きます」

谷やんはビールは重くなりすぎると、ウィスキーボトルを1本、用意しました。しかし、男体山の山頂でサントリーオールドをラッパ飲みした結果、汗をかいて乾いた喉には「ウィスキーは効きすぎる」ことが分かりました。


同時に作戦も練りました。「4段ロケット計画」と名付けられたその作戦は、第1関門(22km)でリタイヤする人を決め、そこまで食料や水など全ての荷物を背負わせて、他の人は体力を温存する。さらに、その荷物を第2関門(42km)でリタイヤする人にバトンタッチ。その人は荷物を第2関門まで運ぶ。同様に荷物をバトンタッチし、第3関門(65km)まで身軽なまま体力を温存した最後の一人に、完走の夢を託すというものです。いわば、ロケットがブースターを切り離しながら軌道に乗るように、みんなの屍を乗り越えて、ただ一人の完走者を出そうという計画です。


3.スタート

レースの日の土曜日は前日までの曇り模様から一転して晴天です。東海村に朝7時に集合し、車でレース会場となる武蔵五日市に向かいました。常磐道から外環を通って関越に抜け、圏央道を使えば3時間で着くだろう。そうすれば10時〜12時の受付の時間に十分に間に合うという目論見でした。

ところが常磐道の守谷サービスエリアで道路情報を見てびっくり。外環と関越はびったり渋滞しています。首都高も普段に増して渋滞です。秋晴れの土曜日、絶好の観光日和なのでみんなが車で出かけているのでした。そういえば、守谷サービスエリアも観光バスや家族連れの車でいっぱいです。私はよく首都高や外環を利用していますが、ここまで渋滞しているのは初めてです。予測では川越まで120分と出ていました。川越から関越は更に混雑するでしょうから、とても12時までに着きそうにありません。

中央高速で行く方法に賭けてみることにしました。中央高速を目指して行けば、最悪でも途中の駅に車を置いてJR中央線で行くこともできるでしょう。八潮から小菅までの渋滞を我慢して向島で一旦首都高を降り、浅草を通って上野から再度、首都高に乗りました。高速1号線は常に空いているので、この道が最も早い方法です。高速3号にのり、新宿を通過したのが午前9時半。前途の渋滞情報は相模湖IC付近が4kmと出ているだけです。

「これは、OKですよ!」と喜んだのも束の間、高井戸ICの手前で突然「4km先から30km渋滞。通過に120分」と表示がありました。あれよあれよという間に渋滞に突っ込み、三鷹料金所のあたりでのろのろ運転になってしまいました。このまま高速に乗っていると、八王子が11時半。それからあきるの市に山越えをしているととても間に合いそうにありません。

「よしっ、下に降りよう。甲州街道がダメなら、JR中央線で行く!」
調布インターで甲州街道に降りてみると、今度は完全に渋滞。全く身動きがとれなくなってしまいました。

信号待ちを繰り返しながら、国立市を12時過ぎに通過。車内には完全に諦めムードが漂っていました。
「今頃、挨拶が始まっているよね」
「12時を過ぎると受け付けないと書いてるし」
「完走は無理と思ってたけど、出走できないとは思わなかったよなあ」

立川に入り、甲州街道から奥多摩街道に入ると、急に車の流れが良くなりました。武蔵五日市に向かう道に曲がると2車線になり、スムーズに車の列を追い越していきます。ひょっとするとスタート時間に間に合うかもしれません。私は車の中で着替えを始めました。

受付のある五日市会館に12時58分着。向かいの中学校のグランドには、1200人の参加者がスタートの号砲を待っています。その真ん前に車を付けると、大会役員の人が驚いてやってきました。

「選手の方ですか?」
「そうです」
「じゃ、早く受け付けをして!みんな、もうスタートです」

その時、号砲が鳴り響き、先頭の列は一斉に駆け出しました。せっかくだからと撮ったのが右の写真。選手でありながら右のような写真はなかなか撮れるものではありません。えへん。

必要装備品の検査もそこそこにゼッケンをもらい、自動計測チップを付け、トイレに行きました。智くんは車を駐車場に置きにいきました。ところが、駐車する場所が違うと文句を言われ、急いで車の場所を移動し、やっとスタートラインに来ても今度は車の中にゼッケンを忘れたことに気が付いて、また走って取りに行きました。スタートの係りのおばさんたちも「早く、早く!」と応援してくれます。


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やっとスタートと思ったら、今度は国ちゃんが「忘れ物をした」と言い出し、脱兎のごとく車に向かいました。あれやこれやで、約30分遅れのスタート。スタートした時には、みんなすっかり疲れてしまいました。昼食も食べていないし、準備体操も無しです。「4段ロケット計画」の役割を決める暇もありませんでした。


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4.第一関門へ

大会役員からコース上のサポーターに「遅れたグループが行っている」という無線連絡が行っているようで、みんな撤収しないで我々を待ってくれています。「すみませ〜ん!遅れて」と謝りながら急ぎます。サポーターの方はみんな「頑張って下さいね」と親切です。

右の写真は五日市の市街を出て広徳寺にさしかかったところ。まだまだ元気です。密かに18時間完走を狙っていた智くんは、ダッシュしました。つられて小栗さんもスピードアップしました。


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スタートして3km。今熊神社の石段にきました。ここから本格的な山道が始まります。一気に200mほど登りますが、階段で鍛えた体にはそれほど負担ではありません。海抜500mの今熊神社の展望台からは五日市の市街が一望のもとに見えました。ゆっくり展望を楽しんでいたいところですが、まだレースは始まったばかり。急がなくてはなりません。


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出発して1時間。やっと集団の最後尾に追いつきました。ひょっとすると他の参加者の誰に会うこともなくレースを終えてしまうのかと心配していたのですが、これで一安心です。

スタート地点から7km、海抜600mの入山峠には3時15分に到着しました。スタート時の遅れを差し引くと、正味1時間45分で歩いたことになります。実は、この入山峠は予備関門となっていて4時間以内に通過しないと、レースそのものに参加させてくれないのですが、それは余裕でパスしたことになります。

道はだんだんと細くなり、一人が通るのがやっとという山道が続きます。崖になっているところもあって、足を踏み外さないよう注意が必要です。先を行っていた智くんはこの辺りで足の腿の筋肉がつり、調子を乱してしまいました。代わって先頭にたったのは美恵子さん。オグリさん、チシロさんがそれに続きます。谷やん、国ちゃんは、ずっと後れて姿が見えなくなってしまいました。

12kmの市道山のあたりで暗くなり、ヘッドライトを点灯しました。コースには右の写真のような看板とともに、発光ダイオードの標識があり、道しるべとなっています。それでも時々、迷いそうな分かれ道があり、真っ暗な中、森の中に迷い込んでしまいそうです。

醍醐丸、連行峰、三国峠と険しいアップダウンが続きます。このあたりで標高1000m弱。平坦な山道は殆どなく、登りと下りの連続に足の疲労が蓄積していきます。特に、下りは滑りやすく、むしろ登りよりも疲れる気がします。


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美恵子さんは快調に飛ばしています。特に下りが早く、油断すると姿が見えなくなってしまいます。オグリさんと智くん、チシロさんは、後ろに遠く離れたようです。

第一関門の手前の下り坂で、私は足を滑らせ5mほど滑落してしまいました。腰を打って、しばらく悶絶しました。飛び散ったステッキを探し、歩き始めましたが、腰に鈍い痛みがあります。「リタイヤ」の文字が頭をよぎります。確かに壮絶なサバイバルレースです。

第一関門である浅間峠に真っ先に飛び込んだのは美恵子さん。20時50分着。2分遅れて私が入りました。スタートの30分を引くと、7時間20分。そう悪いタイムではありません。制限時間の9時間はもちろん、完走ペースの上限のタイムもクリアしています。右の写真は、第一関門に入り、おにぎりを手にVサインの美恵子さん。


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私も断熱シートで冷やしていたビールを口にしました。乾いた喉にビールが滲みます。こんなに旨いビールは生まれて初めてかもしれません。このビールを味わうだけでも、22kmの山道を歩いてきたかいがあったというものです。

しばらく待っているとオグリさんが、そして智くんが入ってきました。チシロさんもマイペースで姿を見せました。みんな体はがたがたになっていますが、気力はあるようです。立派なものです。腰を打って弱気に なっていた私でしたが、みんなと一緒に夜明けを味わうためにはここでリタイヤする訳にはいきません。
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5.第二関門へ

21時過ぎに、第二関門に向けて出発しました。スタート時の遅れもあって、どうやら第二関門に制限時間内に着くのは難しそうです。それならば、全員でゆっくり山を楽しみながら歩こうという話になり、私が先頭に立って、ペースを作ることにしました。

満月が周囲の林を照らしています。前後の人影も消え、5人の足音とステッキの音だけが静かな森に響きます。浅間峠から三頭山の登り口までは10kmほど、林の中のなだらかな尾根道が続き、とても快適です。1時間歩いては15分間休憩というペースで歩き続けました。

午前2時。32kmポイント、標高1158mの西原峠を過ぎて槇寄山まで来た時に林が途切れ、視界が広がりました。月明かりの中、奥多摩の山々の稜線を一望できます。ベンチに座って小休憩。智くん、オグリさん、チシロさんは顔に疲労の色が滲んでいます。我々が休憩をしていると、女性が一人で歩いてきて、そのまま倒れて眠り始めました。これまでも道ばたで何人もの人が眠っているのを見ました。疲労の極限にあって睡魔に打ち勝つのは大変です。


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一方、元気なのは美恵子さん。三頭山の長い登り坂でも、私の後をぴったりとくっついてきます。1450mまで登ったところで休憩。しばらく待ちましたがオグリさんや智くん、チシロさんの姿が見えません。後で聞くと智くんの足の痛みは限界を超え、手でよじ登ったり悪戦苦闘をしていたようです。


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三頭山でご来光を拝もうという計画で、三頭山の避難小屋の手前でのんびりしていたら、スイーパーと呼ばれるスタッフの人が現れました。制限時間に遅れた人を助け、強制的に下山させる係のようです。我々も避難小屋から直接、下山するように勧められました。

しかし、折角、ここまで来たのですから、コースの最高峰である三頭山の頂上を極めたいものです。係の人に話すと、三頭山を越えた蛸口峠から下山してもいいということになり、午前4時に避難小屋を出ました。20分ほど登って、三頭山の頂上に来ました。みんなで記念撮影をして、健闘をたたえました。


6.リタイヤ

三頭山からの長い下りを一気に降りて、38kmポイントの蛸口峠に着いたのが、朝6時。ここから100mほど登ってあとはゆるやかな下り坂で第2関門です。もう一息でしたが、残念ながら今回はここから都民の森に降りてリタイヤとなりました。

結局、土曜日の午後1時半から日曜日の6時半まで17時間、40kmを歩き続けて我々のレースは終わりました。都民の森の駐車場で自動販売機からジュースを買ってくつろぎます。ここから、スタート地点までマイクロバスで送ってもらいました。

7.打ち上げ会

スタート地点に戻ると、谷やんと国ちゃんが車で待っていました。二人は第一関門でリタイヤし、1時間半の山道を歩いた後にバスに収容されたようです。聞くと谷やんは第一関門のタイムリミット直前に到着したようでした。

五日市商工会に紹介してもらった錦紅閣という旅館に入り、お風呂で汗を流しました。この旅館は、平成2年には皇太子殿下が奥多摩をハイキングされたときに利用された由緒正しい宿のようです。確かに別棟になった部屋、十分な広さのある内風呂、窓から広がる秋川渓谷は最高です。

ひと眠りした後、ご馳走を前に乾杯。みんな充実した笑顔です。


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智くんと国ちゃんはビニールの雨着を買っていたのですが、天気が良かったため、結局、使わずじまいでした。せっかく買ったのに勿体無いということで、部屋に戻って飲み直しの時に使ってみました。

左の写真は素肌に直接、着てポーズをとっているところ。パンツまで脱ぐ必要性があったのかどうか...

本当はもっとすごい写真があるのですが、とてもホームページには載せられません。皇太子ご夫妻もご利用になった部屋で裸踊りをしたとあっては、不敬罪になるかもしれませんから。


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次の日は、車で三頭山から奥多摩湖へ山越えをして、もう一度走破した山々を見てみました。車で近道しても1時間近くかかるところをよく走破したものです。


8.おわりに

スタート時の誤算や練習不足のため、残念ながら全員リタイアという結果に終わりましたが、充実感のあるレースだったと思います。深夜にヘッドライトを頼りに森の中を歩き続け、体力の限界に挑戦した経験は得難いものです。月明かりの中で見た奥多摩の稜線、朝靄の中に三頭山から眼下に広がった雲海は忘れられない眺めでした。

このレース。振り返ってみれば、挑戦のしがいのある良く考えられたレースだと思います。大会の趣旨である、「ヒマラヤを目指す若いクライマーの登竜門」というのは、不眠不休で行動できる気力と体力を鍛錬したいという意味であるようです。一部の超人的なランナーたちは、この山岳コースを10時間以内で駆け抜けます。しかし、この大会が目指すのは、そういうスピードレースでは無く、むしろ20時間以上の長い時間にわたって歩き続ける気力と体力だと思います。

24時間で全コースを完走するためには、第一関門を7時間あまり、第二関門を15時間以内で通過する必要があります。この時間設定は、普通に歩き続ければ十分に達成可能なものです。普通の人であっても、練習を積み、気力さえあれば完走の喜びを味わうことができるでしょう。

来年こそ、再挑戦して完走したいものです。今度はスタート時間に遅れないようにして...


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みごと完走を果たした山岳レース2000へ

To next race

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