青森のこころ ーその2ー


青森県の下北半島の付け根に乙供という集落があります。青い森鉄道(旧JR)の乙供駅を中心に1000世帯、6000人くらいの人口でしょうか。この乙供で夏の終わりに、「日の本中央たいまつ祭り」という祭りが開催されます。

集落の中央を流れる川が祭りの会場です。川を跨ぐように舞台を作り、川の両側には観客席を設けています。舞台の中央には、乙供集落のすぐ近くで発掘された、日本中央の碑(いしぶみ)のコピーがあります。この舞台で、貫頭衣を着た子供達が火を起こし、収穫を祝い、太鼓を叩いて踊るのです。


川には大きな松明が何本も据え付けられています。この松明の1本、1本に「都母」とか、「弊井」とか、「お良志閉」などの文字があります。祭りの最後に子供達が作った灯籠を川に流し、この松明に火を付けて、夏の夜空を彩るのです。


伝承では、その昔、この辺りは「日の本」と呼ばれ、「都母」がその中心にあり、「弊井」とか、「お良志閉」などの小国が互いに争うことなく平和に暮らしていました。そこに、「ヤマトの国」から軍がやってきた。「日の本」の国々は争いを知らなかったので、太鼓を叩き、踊りを踊って、人数を多く見せ、その結果、争うことなく和議を結んだというのです。それを再現した祭りだったのです。

我々は、「ヤマトの国」の歴史しか知らず、蝦夷と呼ばれた東北地方を征夷大将軍となった坂上田村麻呂が制覇したと習いました。しかし、制覇された「日の本」の国々からすれば、争いを知らず平和に暮らしていたところに、「ヤマトの国」の軍がやってきたのです。

縄文時代、青森は津軽半島を中心に信じられないほど豊かでした。津軽半島の亀ヶ岡遺跡では、縄文草創期から始まって、縄文晩期に至る全ての土器が出土し、1万年の長きにわたって高度な縄文文化が花開いたことを示しています。注1)しかも、その人々は争いを知らず(世界各地の遺跡では、頭蓋骨に孔が開いたような戦死者の骨が出土しますが、縄文遺跡にはそれが無い。また、奴隷制度を示すような形跡も無い)、互いに助け合い、施しあって暮らしていたのです。司馬遼太郎の本にあるように、『北のまほろば』だったのです。

私は、『青森のこころ』、そして『日本のこころ』は、そこにルーツがあると考えます。

台湾出身の黄文雄氏は、日本のこころを、誠(まこと)、施(ほどこす)、和(やわらぐ)、公(おおやけ)、浄(きよめる)の5文字で表し、中国の人々を表す、詐(いつわる)、盗(ぬすむ)、争(あらそう)、私(わたくし)、汚(けがす)の5文字と対比させました。

私は、中国に限らず、世界の歴史は、詐、盗、争、私、汚の歴史と考えます。ゲルマンやアングロサクソンの蛮族たちは子供が増えて暮らせなくなると近隣のより豊かな部族や村を襲撃しました。勝てばオーケー、負けても人口が減るのでこれまたオーケーという訳です。ローマはこれらの蛮族に滅ぼされ、支配されました。欧州の国々や米国の人々は、これら蛮族の末裔です。

中東では、アラブ人、トルコ人、ペルシア人、クルド人などが、覇権を争い、自らの王朝を交互にたてて他民族を支配しました。神の前では平等であるという、イスラムの教えになってからも、シーア派とスンニ派の間の争いは続き、現在に至っています。

民族の通り道に生まれたユダヤ民族は、民族ごと奴隷になるというバビロン捕囚などの辛い歴史の中で、自分達は『選民』であり、現世は神から与えられた試練であるという、『一神教』を"発明"しました。その一神教は、キリスト教となり、イスラム教となって世界人口の半分以上が信じる宗教となりましたが、それらの宗教の最大の目的は、詐、盗、争、私、汚という人間の本性を律するためでした。人間は神の前で、それらの罪を悔い改めてはじめて、倫理性や道徳性を獲得できると僧侶は教えました。

しかし、『神の前では平等』とか、『汝の敵を愛せ』という、その一神教が愛の対象とする"人間"は同じ宗教、同じ宗派を信じる者のみであるという事が、現在の世界の不幸の原因です。異教徒はまだ本当の宗教に目覚めていない人で改宗の可能性があるが、異端者は間違った教えを信じてしまって改宗の可能性が無いということで、同じ一神教同士の争いは更に激しく残酷なものになっています。

宗教や戒律に頼ることなく、高い倫理性と高い道徳性を持ち、隣人を愛し、互いに施し会い、助け合う文化が存在するという事実は、この世界の現状に対するアンチテーゼであり、一神教の呪縛を脱して、世界平和を達成する唯一の解です。注2)『青森のこころ』そして『日本のこころ』を大切にしたいと思うのです。


注1)青森県つがる市の木造駅の近くに、『カルコ』と名付けられた縄文資料館があります。そこには、縄文早創期から・早期・前期・中期・後期・縄文晩期に至る沢山の土器が時代別に展示されていて、土器を見れば縄文のどの時代かが分かるようになっています。青森市の三内丸山遺跡もオススメですが、土器を見るならカルコがいいです。

木造駅もユニークです。亀ヶ岡遺跡で出土した遮光器土偶をモチーフにした駅です。電車の発着に併せて目が光るようになっているのですが、夜など、あまりの不気味さに子供が泣き出すので、点灯は自粛しているようです。


注2)テーゼとして、『宗教や戒律によらないと、人間は倫理性や道徳性を持つことが出来ない』があり、アンチテーゼとして、『宗教や戒律がなくても、人間は倫理性や道徳性を持つことが出来る』がある。この二つのアウフヘーベンとして、『宗教的寛容のもとで、人間は倫理性や道徳性をもって生きることができる』があると思います。

どんな宗教も目指しているのは、人間の倫理性や道徳性を向上させ、心の平安を得ることです。どんな宗教を信じようと、また宗教なしであろうと、その目的が達成できるなら、いいんじゃないか、という宗教的寛容を持つことが必要だと思います。

青森のこころ その3に続く