青森のこころ ーその4−


世界には、2010年の時点で、キリスト教徒が約21億7千万人、イスラム教徒が約16億人いて、それぞれ世界人口の31.4%、23.2%を占めるそうです。イスラム教徒の数は、人口の増加とキリスト教徒からの改宗者のために急激に増えていて、2070年にはキリスト教徒の数を上回ると予測されています。

アジアに目を向けると、フィリピンは人口の9割以上がキリスト教徒(カソリック)で、韓国では3割がキリスト教徒、中国では、2014年11月にキリスト教徒が1億人に達したとバチカンが発表しています。ハフィントンポスト紙によると、2030年には中国は米国を抜き、世界最大のキリスト教国になるだろうとのこと。

中国の場合は、政府による弾圧のため、地下教会と呼ばれる隠れたキリスト教徒が主です。農村部の貧しい人達のセイフティーネットになっている側面があり、各種宗教団体が医療や教育を与え、貧困者を助けて、その人たちがキリスト教徒になっているのです。

一方、日本では、キリスト教徒の数はカソリックとプロテスタントを合わせても百万人程度で、人口の1%にも満たない数です。イスラム教徒の数は更に少ないでしょう。

キリスト教の伝来は、日本もフィリピンも16世紀です。同じ、アジアの島国でありながら、フィリピンは人口の9割がキリスト教徒となり、日本は人口の1%にも満たないという結果です。日本では弾圧があり、布教の力が足らなかったのでしょうか。しかし、中国では弾圧にもかかわらずキリスト教徒の数は激増していますし、日本の戦後は弾圧もなく、多くのミッションスクールができて、子供の頃からキリスト教に触れる機会はたくさんあります。有名な高校もたくさんあり、特にカトリック系の学校ではかなり熱心に宗教教育や礼拝が行われているのに。

世界の国々の中で、『日本は一神教が浸透しなかった特別な国(唯一の国?)』なのです。

では、なぜ、日本では一神教が浸透しなかったのでしょうか?

恐らく、この問いはバチカンが宣教師たちに何度も問いかけたものだと思います。仏教や神道などの信仰が既にあったせいだとか、本質的に多神教でキリスト教もそのひとつとみなされ利用されただけだとか、いろいろな回答があったでしょう。

私は、一神教が浸透しなかった原因は、青森のこころ その1青森のこころ その2に書いたように、『日本のこころ』のせいだと考えます。

キリスト教もイスラム教も、その教えは、『隣人を愛せ』とか『施しをせよ』とか、『盗むな』、『助け合え』など善行を勧め、悪しき事を回避して平和に暮らし、心の平安を得ることを目的としています。

詐(いつわる)、盗(ぬすむ)、争(あらそう)、私(わたくし)、汚(けがす)という世界の中で生きてきた人々にとっては、キリスト教やイスラム教の教えは極めて新鮮だったことでしょう。それまでの罪を贖い、来世を頼む。人生の転機として、一神教に帰依するきっかけになったのではないでしょうか。

一方、縄文時代からの『青森のこころ』や『日本のこころ』、誠(まこと)、施(ほどこす)、和(やわらぐ)、公(おおやけ)、浄(きよめる)を持つ日本人にとっては、これらは当たり前の事であり、特別なことではない。キリストやマホメッドも、多神教の神のひとつとして加えてあげてもいいよ、だからクリスマスも祝うし、復活祭(イースター)も祝うよ、てなものではないでしょうか。

荒んだ社会環境や不健全な家庭で規律もなく育てられた子供にとっては、キリストやイスラムの教えが厳格であればあるほど、悩みや迷いの余地がなくなり、規範や行動を枠組みを与えてくれるものとして魅力なのでしょう。

しかし、三世代、四世代家族の中で規律をもって大切に育てられた子供にとっては、キリストやイスラムの厳格な規範は、何の魅力もないのです。まして、『人の原罪』などと言われても、ピンとこないのです。

日本でも核家族化が進み、社会不安や貧困化、不平等化などが深刻になれば、キリスト教やイスラム教などの一神教に帰依する人が増えるかもしれません。一神教と多神教に書いたように、多神教は原始的な宗教で、一神教こそが進歩した本当の宗教であるという人がいますが、私は決してそうは思いません。多神教としての日本、『青森のこころ』、『日本のこころ』をもった日本を大切にしたいと思うのです。


この『日本のこころ』を、日本国憲法に書き込もうという動きがあります。日本会議や、櫻井よしこ氏を代表とする美しい日本の憲法をつくる国民の会などです。私は櫻井よしこ氏を尊敬する者ですが、憲法に『日本のこころ』を書き込むことについては反対です。『日本のこころ』は、憲法で規定するようなものでなく、憲法を凌駕するものだと思うからです。

青森のこころ その5に続く