青森のこころ −その5−


青森のこころ その3で、むつ市の田名部祭りを紹介しましたが、その他にも、『自分達の 自分達による 自分達のための祭り』がたくさんあります。そのいくつかを紹介したいと思います。

花輪ねぷた

『田舎なれども 南部の国は 西も東も 金の山』と南部牛追唄で唄われた金の山のひとつに、尾去沢鉱山があります。奈良時代からの1300年の歴史を持ち、奈良の大仏の銅は尾去沢鉱山で採掘されたものを、下北半島の付け根にある野辺地湊から運び出したと伝えられています。

その尾去沢鉱山の門前町として栄えたのが花輪です。現在は青森県でなく秋田県(鹿角市)に属するのですが、旧南部藩なので、心情的には青森県のお祭りです。

毎年8月7日・8日に行われる七夕行事で、将棋の駒型をした高さ5メートル余りの王将灯篭と、鼓面直径が2メートルある大太鼓、そして同じ将棋の駒形をした高さ2.5メートル弱の子供灯籠が花輪の町を練り歩きます。

花輪には7つの町内があり、各町内を通過する際には、その町内の入口に設けられたテントに座る長老達に『○○町内をお通し願います』と許可を得るのです。その儀式が整然としていて、祭りの歴史を感じさせます。

右の写真はその様子。まず、町内の入口で整列します。年齢はみんな比較的に若く溌剌としています。それぞれ提灯を持っていて、それに『総括』とか『外交』とか『若者頭』などの役割の文字が見えます。そして、『外交』の提灯をもった5人がテントに走り、深々と礼をして町内通過の許可を得るための口上を述べるのです。


祭りの最高潮は二日目の夜。夕方から町の側を流れる米代川に架かる稲村橋に、全ての王将灯籠と大太鼓、子供灯籠が集結します。そして、まず、各町内の代表、60人くらいが円陣を組み、さんさの儀式が始まります。

さんさは、祭神への挨拶であり、神を讃える言葉らしく、
「サンサンサントセ、オササノサントセ、ヨイヨイヨーイ」
と、全員が三度繰り返し唱えます。

そして「さんさ」で場を締めたあと、橋の上の王将灯籠と河川敷の「子供灯籠」に一斉に火が放たれ、太鼓が打ち鳴らされます。火はまたたく間に王将を包み、夏の夜空を焦がすのです。


河川敷と土手にはたくさんの観客がいますが、殆どが花輪の人のようです。隣に座った50才くらいのおじさんと話しました。

おじさんは花輪に生まれ、子供の時から祭りに参加したのだそうです。小学6年生になって、子供灯籠の責任者になった時は子供心に誇らしかった、そして中学から大人灯籠に参加し、年々、重要な役割につき、そして40才前に『総括』を勤めて、さんさもやった。しかし、祭りの定年が40才なので、いまはこうして観客席に座っている、と寂しそうに話してくれました。

40才を過ぎても、一部の人は長老としてテントに座ったり祭りの世話役をやっているが、殆どの人は引退して見る側になるのだそうです。町を練っている人達が比較的若いのが不思議でしたが、祭りには定年があったのですね。


花輪ばやし

実は、花輪で最も大きく有名な祭りは、8月19日・20日に開催される花輪ばやしです。

こちらはすっかりメジャーになっていて、日本三大囃子のひとつとか、日本一の祭ばやしと評価され、2016年にはユネスコ無形文化遺産への登録も決定しています。

鉱山で栄えた頃の遺産である、絢爛豪華な10台の屋台が集結し、2日間にわたって花輪の町を舞台に競演を繰り広げるのです。

もっとも賑やかなのは、全ての屋台が集結する花輪駅前の広場。最近では広場に有料の観客席が設けられています。お金を払って有料席に座ると、前の方半分の席が空です。屋台の集結が始まっているのに誰も来ないのかなあと思っていると、全ての屋台が揃う直前に何台もの観光バスが停まり、JTBの旗を先頭にたくさんの観光客が降りてきて、前半分の席を埋めました。

確かに、花輪ばやしは絢爛豪華で見応えもありますが、私としては、花輪の人達が自分達だけのためにやっている、花輪ねぷたの祭りの方が本当の祭りのような気がします。


野辺地祇園祭り

下北半島の付け根、むつ湾に面する野辺地町は、古くから交通の要衝として栄えた町です。古くは奈良の大仏の銅を運び出し、江戸時代には北前船が停泊し、また昭和になっても函館行きのフェリーが発着したり、十和田市と結ぶ南部縦貫鉄道があったりしました。

JRの特急の停車駅でもあったのですが、新幹線の新青森駅まで延伸に伴い、JRは青い森鉄道となり、その重要性を失っています。

しかし、文化としては健在で、8月下旬の4日間、野辺地祇園祭りが開催されています。

この祭りの特徴は、お囃子が優雅なこと。東北の夏の祭りは、太鼓を打ち鳴らし、チンチンチンとすり鉦(当り鉦)でリズムを刻み、笛を吹いて、ともかく賑やかなのが特徴ですが、野辺地の祇園祭りは、京の祇園の名前を冠するだけあって、雅(みやび)なのです。お囃子は、笛と三味線。太鼓はありますが、山車に乗った稚児たちがスローモーションのようにゆっくりと打つだけです。

各町内からの飾り付けた山車の他、船形の山車なども出て、延々と行列が続きます。子供からお年寄りまで、野辺地町の歩ける人はみんな行列に参加しています。観光客は殆どいません。ということは、沿道の観客ゼロということで、私達が沿道に椅子を据えて観客になっていたら、行列の人が珍しがって見ていきました。


川内八幡宮例大祭「川内まつり」

下北半島のむつ湾に面したむつ市川内地区で毎年9月の「敬老の日」前の土・日に行われる祭りです。

川内地区は、むつ市からむつ湾沿いに約20km。普段は湯ノ川温泉に行く時に通り過ぎるだけの、海辺の寒村というイメージでした。ところが、祭りに訪れて驚きました。

まず、五台の山車が豪壮優美です。山車としては県内随一の大きさとか。山車ごとに、つまり町内ごとに、男も女も揃いの祭りの衣装を着て練り歩き、それはそれは、すごい盛り上がりです。

約300年の歴史がある祭りとか。山車の豪壮優美さといい、揃いの衣装といい、その盛り上がりといい、江戸時代に海運で栄えた当時が偲ばれます。


大畑八幡宮例大祭

同じくむつ市から津軽海峡沿いに10kmほどいった、大畑地区の祭りです。

毎年9月14日から16日の3日間行われます。この3日間のうち、14日が宵宮祭、15・16日には、本祭と御神輿の渡御が行われます。

写真は宵宮の様子。御神体が移った御神輿が、町内をめぐり各家庭を祝福してまわります。各家庭では道路に面した座敷に屏風をめぐらせ、祭壇をつくって米・お神酒・果物などを供え、御神輿をお迎えするのです。

神事ということで、多くの人が神官の服装です。神社がそれらの服装を持っているのでしょうか。聞いてみると、各家庭では神官の服装を始め、山車を引くときの服装などの一式を持っているという答えでした。


黒石よされ

これは、かなりメジャーとなった黒石よされ。津軽地方、黒石市の夏祭りで、8月中旬に6日間にわたって開催されます。

黒石よされは、「阿波踊り」と「郡上踊り」とともに「日本三大流し踊り」の一つとしても有名です。

廻り踊り、組踊り、流し踊りの3つの踊りで構成されていますが、祭りが特に盛り上がるのは最初の2日間の流し踊り。連日約2,000人の踊り手が沿道を踊り歩き、時折円を描く廻り踊りは、 観客を巻き込んでの乱舞となります。

流し踊りの最初の方は、ちゃんとした踊り手が列を乱さず踊っていますが、途中くらいから、赤ちゃんを抱いたお母さんとか、子供とか、飲み過ぎてフラフラになったおじさんとかが出てきます。町の踊れる人はみんな出てきているのでしょう。そんな雰囲気の中、観客への踊りの誘いがあり、つい、踊りに参加してしまうのです。

観客参加型の『ぐだぐだ感』が良くて好きな祭りです。



青森は四季が明確です。吹雪が続き、雪に閉じ込められる冬が過ぎると、いっせいに花が開きます。私の郷里の愛媛では、1月に水仙が咲き、2月には梅の花が、そして3月の終わりには桜が咲いて、4月や5月はツツジやチューリップ、6月はアジサイの季節です。そして、水芭蕉は高原の6月の花というイメージです。ところが、青森ではこれらの花は5月から6月にいっせいに咲くのです。

花の季節が終わると夏になりますが、8月のお盆を過ぎれば秋の気配が足早に近づいてきます。この短い夏の季節に、青森の人は自分達だけのための祭りで盛り上がり、命の炎を燃やすのです。

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