ベッキーは全然悪くない

Bekky is not bad at all


SMAPの解散騒ぎは全く興味がなく、どの地上波テレビ局をつけても同じ情報を繰り返していて、日本の地上波TVの3S( Sensational:扇情的、Sentimental:感情的、Superficial:表面的)を再認識するとともに、BS放送やローカルラジオ放送を見直すきっかけになりました。

どうやら問題の本質は、日本のタレントと芸能プロダクションの封建的な力関係にあって、タレント側が負けた(プロダクション側に木村拓哉が寝返った)ということのようですね。もっとタレント側も自主性をもって、競争社会で生き抜く力をつけないといけないのでしょう。というか、地上波TVの寡占状態がこのような状況を作っているので、電波の自由化を行い、多彩な放送局が林立する状態を作らないといけないと思います。北朝鮮の弾道ミサイル騒ぎの時に、唯一、違う番組をやっていたテレビ東京、マイナーなタレントの個性を生かす番組に力を入れたテレビ東京の視聴率が上がっているのには理由があるのです。

さて、これもかなりの騒ぎになったベッキーの不倫騒動。

以前は、全てのタレントが『ベッキーは礼儀正しく、いい娘だ』と絶賛していたのに、『ひどい、裏切られた』と総スカンの状態です。私は彼女の本質は変わらず、人間として誠実に生きていると思うのでここで弁護したいと思います。とても回りくどい弁護になりますが、お許しください。

まず、人間は人間が考えているほど理性的な存在ではなく、95%以上は動物です。残りの5%で、動物的な行動にいろいろ理由をつけているに過ぎません。

『生物は遺伝子の単なる乗り物に過ぎない』という利己的遺伝子の学説があります。我々人間を含めた生物個体は遺伝子が自らのコピーを残すために一時的に作り出した「乗り物」に過ぎないという、イギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスを代表とする学説です。

人間も他の動物と同じように、自らの遺伝子のコピーを残すために行動し、その行動に理性的な理由をつけているに過ぎないのです。

男女間の崇高な『愛』は、脳内でのPEA(フェニルエチルアミン)などの恋愛ホルモンの分泌によるもので、ドキドキが続くのは、PEAが分泌し続けることができる3ヶ月か長くとも3年か4年です。その後の男女間の愛は、セラトニンなどの安らぎホルモンの作用によるものです。

親が子供のために死ねると思う『愛』は、自分が生き続けるよりも、子供を助けた方が自らの遺伝子のコピーを存続させることができるからです。共同体に対する『愛』は、それにより子孫や似た遺伝子を持つ仲間の絶滅を防ぐためです。

そこで、自らの遺伝子のコピーを残すための、男女の『戦略』について考えましょう。

男女の大きな違いは、何人の子供を残せるかという能力にあります。男の場合には、何百人、何千人でも子供を作ることが可能ですが、女の場合には妊娠期間があるので限界があります。また、妊娠期間中や子育て中は餌を運び保護してくれる男が必要です。そこで、単純には、男の戦略は『自分の遺伝子をばらまくこと』になります。その対象は特に優秀な女である必要はありません。数打てば当たる訳ですから。一方、女の戦略は数少ないチャンスをものにするために『生き残る能力の高い優秀な遺伝子の男を選ぶこと』、それと『自分と子供に餌を与え、保護してくれる男を確保すること』になります。

ただ、人間では『遺伝子をばらまく』ばかりの男は、最終的には子供を持てない可能性があります。女の側がそのような男は選ばないからです。また女の側では、優秀な遺伝子をもつ男はすでに他の女に確保されている場合が多いという問題があります。

そこで、それらを勘案したベストの戦略は、

男は、『自分の子供を間違いなく残してくれる女を確保した上で、自分の遺伝子のバラ巻きに励む』
女は、『保護してくれ、餌を与えてくれる男を確保した上で、チャンスがあれば優秀な遺伝子の獲得に励む』

ことになります。男の浮気性は遺伝子に刻み込まれている訳です。女の方もチャンスがあれば優秀な遺伝子を望みます。ただ、一歩間違うと保護する男を失うという大きなリスクがあるので女の浮気性は男ほど強くないのでしょう。

相手の浮気を見つけた時の男女の違い、男は自分の女を恨み(殺し)、女は相手の女を恨む(殺す)、というのは、この戦略から考えると簡単に説明できます。つまり、女にとって相手の女は、自分の男の持つリソースを横取りしようとする悪者ですし、男にとって自分の女は、自分のリソースを使って確保したと思っていた女が他の男の遺伝子を獲得しようとした悪者だからです。

人間はこれらの本能的な戦略、つまり遺伝子に刻み込まれた戦略に、理性的な理由をつけて愛を語り、恋愛を語っているに過ぎないのではないでしょうか。そして、その理由は、その時代、その社会の価値観でいろいろと修飾されます。

戦乱に飽きた江戸時代の価値観は『安定』であり、その安定を守るために、身分が固定され、主に仕えることが『正義』とされました。いかに能力がある人が身分の枠を越えて上に上がろうと思っても、また能力があって『農民は嫌だ』という人が居たとしても、社会の『正義』が許さなかったのです。

テレビで流される薄っぺらい正義は、『不倫はいけない』というものです。これはいま現在の『正義』であって、ほんの数十年前は、妾とか二号さんとかは当たり前の文化でした。強くなった女の側が男のリソースを占有したい、弱くなった男の側が自分の女を間違いなく確保したいという極めて利己的な動機から出た『正義』に過ぎません。世界をみれば、あるいは世界の歴史をみれば、『不倫は文化』という価値観の方が主でしょう。愛情の持てない相手と暮らし続けることが理性ある人間として、本当に『正義』なのでしょうか。

本当に理性的に考えるならば、自分自身のリソースで子供を育てていく能力のある女性が、愛を感じた男に、配偶者がいたということに過ぎません。自分の愛情のために、相手の家庭を壊し、相手の女性を不幸にする可能性があることに罪悪感を感じたとしても、『愛を貫く』ことが、それほど全面的に非難されることなのでしょうか。むしろ、自分自身を騙すことなく、正直に生きている素直な女性だと思うのです。


人間は、95%の動物であるということを認識し、それをカバーするように行動すべきです。遺伝子に刻まれた動物的本能をうまく処理するための息抜きが必要なのです。むしろ、95%を押さえつけようとして理性的すぎる、あるいは禁欲的すぎる行動をとると、あるところで破綻します。厳格な教育者が痴漢や覗きに走るなどの原因は、この破綻にあると思います。


学説として以下の組み合わせを目にしたことは無いのですが、

1.戦争があって男の数が減ると、男の出生率が上がる。
2.男のXY遺伝子を持つ精子はアルカリ性で元気が良く、女のXX遺伝子を持つ精子は酸性で元気が良い。

という事実があるそうです。2.は、男女の産み分けにも利用されていて、通常、女性の膣は酸性で、性行為により感情が高まるとアルカリ性になるので、女性を生みたいときにはアッサリとしたSEXを行い、男性を生みたいときには濃厚なSEXを行うといいと言われています。

『一姫二太郎』という言葉は、最初の子供は女の子の方が育てやすいということの他に、最初が女で次に男になるというのは、最初はぎこちなかったSEXが、次第に愛情が増し、夫婦生活が充実していっている証拠であり、良いことだという深い意味があるそうです(本当か)。

さて、戦争があって男の数が減ったとき、数少ない男を獲得できた女の喜びは増し、2.の作用で男を生む確率が高くなるのではないでしょうか。逆に、男が余っているとき、女性の高まりはそれほどでもないのでしょう。

人間は動物であり、自然はうまくできているなあと思うのです。