ベッキーは全然悪くない その2

Bekky is not bad at all -2-


ベッキーのあと、桂文枝師匠(私たちの年代には桂三枝の方がわかりいい)、五体不満足の乙武洋匡氏の不倫がマスコミを賑わせています。桂三枝や乙武氏は、ゲスの川谷君とちがって年季が入っているようで好感がもてます。川谷君は妻の恨みを買って妻側からLINEログが流出したようですが、桂三枝の奥さんは『本当にあんたは脇が甘いからや』と桂三枝に言っているようだし、乙武氏の奥さんに至っては『妻である私にも責任の一端があると感じております』というコメントを出しています。

男女関係という非常にプライベートな問題に対して、『許されない、謝れ』と言うのは、川谷君じゃないけど、当事者がみんなそれを許している場合には『誰に謝ればいいの?』の世界だと思います。単なる時代の空気で『謝れ』と大合唱になるのは、それこそ全体主義、思想統一、更には戦争への足音が聞こえる気がします。

浅薄な非難コメントを出している芸能界やマスコミ界でも、不倫関係はたくさんある筈で、表面に現れて離婚などと騒ぐのは、一言でいえば、男の『器量』と女の『寛容』が足らないカップルでしょう。それと比べれば、桂三枝も乙武氏も立派だと思います。

ベッキーや桂三枝、乙武氏を非難する風潮に異議を唱える前に、前ページの続きのSMAP問題のその後の話を先に。

SMAP問題で少し感心しているのは、地上波TVや新聞、週刊誌などの大手マスコミでは、『木村拓哉が頑張って、SMAPの解散を阻止した。良かった、良かった』という線で報道されているのに対し、ネット上では『木村拓哉が裏切った』と、彼の評判ががた落ちになっていること。ジャニーズ事務所の異常さやマスコミに及ぼす圧力などについての一部週刊誌や暴露本の内容は、むしろネット上の情報をなぞる形でしかない。大手マスコミが寄ってたかって、ジャニーズ事務所悪くない、木村拓哉は立派という線で纏めようとしたのに、ネット上ではそれが常識にならない。ネット上には間違ったとんでも無い情報もたくさんあるけど、それらの中から正しい情報を選択しようという、情報リテラシーが若者を中心に育ってきているのではないだろうかと感じています。情報過多の中、若者は是非、本質を見極める訓練をして欲しいと思います。

さて、話は戻って、不倫問題。参院選への出馬を考えている乙武氏に対して、『議員は清廉潔白でなくてはならない。出馬を止めろ』などという非難が渦巻いていますが、私にいわせれば、政治家として選べというなら、浮気の一回もした事がない清廉潔白な候補者よりも桂三枝や乙武氏を選びます。

浮気を一切考えないような清廉潔白な男は、オスとして問題があるか、あるいは、その時代の倫理感と正義感に囚われた、イデオロギー優先の人間だからです。イデオロギーが先行する政治は必ず失敗します。

時代の空気に囚われることなく、物事の本質や人間の本質をみつめ、困難な調整を行い、大局的に判断できる人でないと政治家には向きません。国政を預かるような政治家は特に。女性の1人や2人、できれば5人の女性を幸せにできるくらいの調整能力と器量がある人でないと、政治家としては信頼できないと思います。


さて、ここで、その時代や社会の倫理観や正義感に囚われない、性に関する絶対的な『善』や『基準』は何かという問題です。

それは、人間はまず動物であり、その遺伝子に刻まれたオスとメスの戦略を如何に理性的に処理して、『最大多数の最大幸福』を目指すかということではないでしょうか。

動物の世界では、一夫多妻制から一夫一婦制、一妻多夫制、乱婚制まで、いろいろな形態がありますが、その原則はその動物を取り巻く環境や生態の中で、如何にして自らの遺伝子のコピーを効率良く残すかということです。

おおざっぱに言えば、熱帯地方の敵の攻撃や病原菌のリスクが高い地方においては、オスの強さや免疫力の高さが重要になります。メスとしては、自らの遺伝子を残すためには、前ページで述べたメスの戦略である、

『保護してくれ、餌を与えてくれる男を確保した上で、チャンスがあれば優秀な遺伝子の獲得に励む』

のうち、後半部分が重要となる訳です。そのため、優秀なオスの選択が進む一夫多妻制が標準となります。一夫一婦制をとる鳥類にしても、自分の配偶者が居ない間に優秀なオスと不倫し、その不倫相手の卵を産む場合が多いという研究があります。

一方、寒い地方では病原菌の攻撃は少なく、オスの免疫力の強さよりも、むしろ協力して生活していくことが重要になります。南極に住む皇帝ペンギンの仲睦まじい一夫一婦制や共同体としての助け合いは、寒い地方だからこその最適解でしょう。

人間社会でも、熱帯の病原菌の攻撃が多い地方において一夫多妻制が選択されています。選ばれた男のみが女を独占し、選ばれなかった男は暇を持てあまし、戦争に走る。この戦争というのは、もともとはゲームや形式としての争いだったものが、本当の武器を与えられたために悲惨な戦争となっている。アフリカのルワンダにおける、フツ族とツチ族間の争いの不毛さや悲惨さは、そこに遠因があるような気がします。

一方、極寒の地方に住むエスキモーでは、夫婦で助け合って自然の厳しさに立ち向かうという一夫一婦制や一妻多夫制が選択されています。エスキモーの人たちにとって、熱帯地方の人々の強さや免疫性の高さを競う攻撃性の高さは、理解を超えるものでしょう。

では、温帯に住む日本人はどうだったかといえば、寒帯と同じく一夫一婦制を標準としつつも、熱帯の流れをくんで、性に対して極めておおらかでした。

上流社会では側室や妾を持つことは当たり前でしたし、農村社会では夜這いの習慣がありました。また、夏祭りなどの非日常の『祭り』においては、乱交は当たり前でした。夜這いというと、男達が女性の部屋に忍び込んで襲うというイメージがありますが、そうではなく、選択権は女性にあり、気に入らない男は簡単に拒絶することができたそうです。年頃の娘は、忍び込まれやすいように道路に面した部屋にいるのが普通で、奥の部屋にいる娘は『箱入り娘』として軽蔑されたそうです。

秋田県の西馬音内の盆踊りは、編み笠を深く被り、夜のかがり火の中では全く人相が分からないような出で立ちで、踊りは極めてエロチックです。かつては、かがり火の届かない周囲の暗闇へ、多くの男女が消えたことでしょう。後で述べる、ヴェネチアの仮面舞踏会を彷彿させます。夫と死別した後家さんも、若者の教育係として重要でした。そうして生まれた子供たちは、夫の顔つきと似ていない子供もたくさんいたのですが、村という共同体の子供として分け隔てすることなく育てられたそうです。

私の尊敬するヴェネチア共和国。ラグーンに浮かぶ小さな小さな国にもかかわらず、1000年にわたって繁栄を謳歌し、地中海を支配した国です。ヴェネチア共和国の男たちは、海外に飛び出し、結婚しても殆どヴェネチア本国に帰りませんでした。経験に富み、スマートなヴェネチアの男たちは、行く先々で現地の女たちにもてたことでしょう。

一方、残された妻たちは、ひたすら夫を待って味わいの無い生活をしていたかというと、ヴェネティアには、Cavaliere servente(奉仕する騎士)という制度があったのです。婦人の生活に朝から就寝まで付き合い、朝のドレスや装飾品の選定から、食事、外出や散歩、舞踏会での踊りの相手、そして寝室に送り届けるまで、夫がなすべき全ての事について奉仕する若者の制度です。若者の側は無報酬ですが、それにより、女心の良い勉強ができたことでしょう。

寝室に送り届けてからの『残業』はあったのかという問いについては、著書「海の都の物語」でこの制度を紹介した塩野七生氏は、以下のように述べています。

『この種の心配は女心を知らない者のすることである。このような場合、女にとって、肉体をともにするかしないかということは、たいした問題ではなくなる。女を生き生きと美しくするのは、時折の肉体関係ではなくて、絶え間なく与えられる、男たちの賛美と繊細な心配りに負うほうが多いものである』

私はヴェネティアの夫たちは、当然、そのようなケースもあることを許容していたと思います。これにより、妻は美しいままで家庭を守り、生き甲斐のある人生を送っているのですから夫としては幸福だったでしょう。

ヴェネチアが発祥の地となっているものに、仮面舞踏会があります。今でも、ヴェネチアの町を歩くと、仮面を売っている店がたくさんあります。

仮面舞踏会には、仮面を被って人相を分からなくした男女が集い、一夜の冒険を楽しんだそうです。その中には指導者として尊敬を集める男や、貞淑な妻や高貴な女性がいたことでしょう。普段、厳格な生活をしているからこそ、たまの息抜きとして仮面舞踏会は必要とされたのでしょう。

現代の日本の性に対する倫理観は、極めて新しく、戦後になって欧米のキリスト教の価値観が入ってきたものと言えます。

しかし、そのキリスト教の元となったユダヤ教のモーゼの十戒の中で、『汝、姦淫するなかれ』という戒めは、キリスト教社会の中でも、最も守られていない戒律ではないでしょうか。それは、人間の本性に逆らうものだったからです。

西洋的な価値観が蔓延し、『処女』という言葉が広がったのは、日本においては本当にここ最近のことです。男性の草食化が進み、女性の立場が強くなって男のリソースを独占したいという我が儘が生み出した倫理観といえます。

遺伝子に刻まれた互いの特性を踏まえて、最大多数の最大幸福を目指す。夫が幸福であれば妻も幸福であり、逆に、妻を幸福にできない夫は幸福にはなれないのでしょう。少しくらいハメをはずす行動があっても、それはむしろ、夫婦の繋がりを深めるものであるべきです。

テレビのコメントを見ていても、ワガママな女性ほど不倫を非難し、いい女は黙っていると思うのは私だけでしょうか。