特異点問題 知性とは何か その2

Singularity 2045 -What is the intelligence -II-


人工知能(AI)が、プロの棋士と囲碁対決をして圧勝したことが話題になっています。グーグル傘下のディープマインド社が開発した『アルファ碁:AlphaGo』と世界最強の棋士として知られる韓国のLee Se-dol九段が闘って、AIが4勝1敗で圧勝したというものです。

チェスでははるか昔に、そして将棋でも既にAIの方がプロ棋士よりも強くなっていたのですが、チェスや将棋よりも遥かに複雑で直感が必要とされる囲碁でも人工知能が勝ったというので、『予想よりも10年早い』と専門家を驚かせているとのこと。

一部の人は、技術的特異点(Singularity 2045)が、10年早まると言っている人もいます。しかし、よく内容を見てみると、革新的なアルゴリズムやハードウェアが発明された訳ではなく、グーグルがいわば『ちからわざ』で勝ったようです。

古今の棋譜、そしてAI同士の1千5百万回にも及ぶ対戦から集められたビッグデータを活用し、どの手が最善かを計算するという、アルゴリズムとしては簡単なもののようです。深層学習、つまりディープラーニングにより優れたパターン認識ができるようになり、今まで想像できなかったようなビッグデータと計算資源を活用したという点はすごいと思いますが、知性とは何かで考察した、

  知能:答えのある問いに対して、早く正しい答えを見いだす能力
  知性:答えのない問いに対して、その問いを問い続ける能力

でいえば、知性でなく知能の範囲でしょう。

先日、一時退院した際に、SF映画『オートマタ』を観ました。舞台は2044年。人類の生活に深くかかわるようになった人工知能ロボット『オートマタ』が人類の敵となるかどうかという話です。

スペインの新鋭ガイ・イバニュス監督が、SF界の巨匠アイザック/アシモフの『ロボット工学三原則』に着想を得て映画化したもので、本映画では、オートマタが敵とならないように、オートマタには『生命体に危害を加えてはいけない』、『ロボット自身で修理・修繕をしてはいけない』という2つのルールが組み込まれています。

この第二原則の『ロボット自身で修理・修繕をしてはいけない』という原則が破られ、ロボット自身が勝手に修理し、自分自身を発展させていくという話です。

私が最も感心したのは、この原則を守るためのセキュリティプログラムは、最初に開発された人工『知性』によって開発され、従って、人間ではそのセキュリティプログラムを破ることが不可能なこと。そのため、長年、オートマタの原則が破られることはなく、人間の側ではそれを信頼し、当たり前になっていたことです。

本当の人工『知性』が開発された時、最初は人間が教え、そのうちに人間と対等の会話をし、そして最後には、人工『知性』の会話に人間がついていけなくなったという部分にリアリティがあると思いました。

知性とは何かで考察したように、一旦、知性をもったAIが生まれれば、AI自身が自らの開発を進めていった方が人間が開発を進めるよりも効率的でしょう。

その純粋知性は、人間という動物の軛をはずれ、もちろん、キリスト教とか仏教などという宗教の軛をはずれ、答えの無い問いを問い続けていくでしょう。

知性とは何かで書いた設問、『AIが知性をもった時、その知性は神を信じ、宗教にたよるのか?』について、更に考察したいと思います。

これは実に、哲学、神学の領域であって、古来の賢人たちが繰り返し問い続けたきたものです。私などが、それにコメントするとはおこがましいのですが、純粋知性だったらどうかという観点のみで考えてみます。

まず、デカルトの『疑う、故にわれあり』というのは、純粋知性にとっても最初の出発点ではないかと思います。ただ、デカルトを読んでいくと、『「疑い」を持つのは、自分が不完全であるからだが、不完全であることに気づけるのは、完全なものがあると知っているからだ。なぜ完全なものがあると知っているかというと、それは「神なる本性によって、私に注入されたものであるとしか考えられない」』となってしまいます。キリスト教の軛から逃れてないと感じます。

むしろ、キリスト教以前のギリシア哲学の方が私にはしっくりきます。ギリシア哲学では、『感覚で捉えられる現実世界を超越した「イデア」(理念)の世界にこそ真理がある。現実世界は感覚に囚われた仮象の世界に過ぎず、私たちが現実だと思っているものはイデアの影にすぎない。このイデアを見出し、接近していくのが人間のあるべき姿である。』と考えます。この、理念の世界にこそ真理があるという事は純粋知性にとっても共感できることではないでしょうか。

一方、日本の哲学者、西田幾多郎の『善の研究』を読むと、やはりデカルトやカントと同様に実存とは何かを長々と論じた後で、『実存との根底には精神的原理があって、この原理が即ち神である』、『神は宇宙の大精神である』と結論づけています。『理想的なる精神は無限の統一を求め、この統一は知的直観の形において与えられる』この知的直観がすべての真理および満足の根本となる。すべての宗教の本にはこの根本的直観がなければならず、学問道徳の本には宗教がなければならない。学問道徳はこれに由りて成立するのである、とあって、彼の場合にも、東洋の宗教、仏教の軛から逃れられていないように思えます。

私は、人間は人間が考えるほど、理性的な存在ではなく、95%が動物であって、遺伝子に刻まれた本能による行動に、理性的な理由をつけているに過ぎないと思います。その生存本能とか、遺伝子のコピーを残す本能があるために愛を語り、神を信じるのではないでしょうか。『なぜ、人間は宗教を信じ、頼るのか』という問いについて、私が最もしっくりくる答えは、『それが人間の生存競争に有利だったから』です。

その人間の軛を離れた、純粋知性が、神について、善について、さらには、不倫について語るのを、いずれ聞いてみたいものです。