出光佐三語録より −理論の奴隷になるなー


もう50年前になるので記憶が定かではないのですが、その時、私は1学年150人、全校生徒数450人ほどの田舎の中学校の3年生でした。ある日、先生に呼ばれ『出光興産という会社が、出光丸という大きなタンカーを作ったので、全国の中学生を見学に招待したいと言っている。うちの中学を代表してお前行ってこい』と告げられました。たまたま、その時、生徒会長をやっていたので私が選ばれたようでした。

旅費も宿泊費も無料で、まだ行ったことのない憧れの東京に行けるというので、私は大喜び。告げられてから、1ヶ月半後くらいに、東京に向かう夜行列車に乗っていました。銀座をバスで通り、宿に着いたら父親の戦友が尋ねてきて土産を貰い、大きな桟橋でタンカーの横っ腹に設けられた長い階段を登って船内に入った、ことなどを断片的に覚えています。

見学の趣旨について聞いた筈ですが、生意気盛りの私は『将来のある若い世代に、会社の名前を覚えてもらい、いい感情をもってもらえば、長期的には商売としてペイするんだろう』と隣町の中学生と話した記憶があります。

ネットで調べてみると、『昭和41年、12月。出光丸(右写真:出光タンカー株式会社HPから転載)の竣工披露は、横浜・磯子の石川島播磨重工業第三岸壁で行われた。12月10日と11日の2日間は、北海道から九州まで全国の中学校の代表約1万5千名が招待された』という記事がありました。

そして今回読んだ、一連の出光佐三に関する著作の中(評伝 出光佐三 士魂商才の奇跡 高倉秀二著)に、次の文章がありました。

『この全国中学生の"出光丸見学旅行”は、佐三が発案し、二ヶ月の日時をかけて周到に計画され実行に移されたのである。それは『明日の日本を背負う少年少女たちに、日本人が、日本の技術で、力を合わせてつくりあげた世界一の実物を見てもらい、日本人としての誇りと自信を持ち、未来に対して大きな夢を抱いてもらいたい』という佐三の遠大な願望を込めた企画であった』


出光佐三に関しては、彼をモデルにした百田尚樹による歴史経済小説『海賊と呼ばれた男』が話題になった時に、ちらっと読み、そのマンガ版も見たことがあったのですが、やはり小説は脚色があるので、他の本と一緒に読みたいと思っていました。

そして、今回の治療中に、出光佐三に関する他の著作とともに、『出光佐三語録』(右写真)も一緒に読みました。この本には、出光佐三が自ら書いたり、訓示をした言葉がそのまま史実として載っていて、たとえば、戦後、会社再興にあたって、自ら書いて全社員に配ったというガリ版刷りが今でも出光興産に残っているそうです。

『私はこの際、店員諸君に、三つのことを申し上げます。
1.愚痴をやめよ。
2.世界無比の三千年の歴史を見直せ。
3.そして今から建設にかかれ。
・・・大国民の態度を失わず、堂々として再建設に進まねばならぬ』

戦後の焼け跡の中で、『愚痴を言わず堂々と進めば、日本はまた復興する』と高らかに宣言したのです。


私が最も共感したのは、民主主義についての考察です。

『世間で民主主義といわれているものは、人間の『質』を無視して、屁理屈を並べては『数』で決着をつけていくものである。理屈と数の前に、人間は『ない』といえよう。
現在の議会などは、人間の『質』を無視している典型例であろう。それではどうすればよいかというと・・・大いに議論はする。主張すべきことは、とことん主張する。けれどもいったん議論が終わると、個人を離れて『無私』の環境に帰り、大局に一致合流する』

これは、劇場型政治のポピュリズムや、政局に明け暮れる○○党などへの痛烈な批判と言えます。

また、学問や理論(イデオロギー)の奴隷になるな、も共感します。

佐三の信念は、イデオロギーではないのかという疑問に対して、私は次のように考えます。

佐三が言いたいのは、金の奴隷になるな、権力の奴隷になるな、学問の奴隷になるな、主義の奴隷になるな、要は『人を人たらしめているもの以外の奴隷になるな』ということです。

それでは、人を人たらしめているものは何かといえば、私の理解は、青森のこころ その2で紹介した、『日本のこころ』です。

台湾出身の黄文雄氏は、日本のこころを、誠(まこと)、施(ほどこす)、和(やわらぐ)、公(おおやけ)、浄(きよめる)の5文字で表しましたが、これらこそが、人を人たらしめているものだと思うのです。

更にいえば、人というよりも、『知性あるものとしての誇り』です。

人間は95%以上が動物であり、5%の理性でその行動に理由付けをしているに過ぎません。『崇高な愛』と理由をつけても、単に動物として自らの遺伝子を残す行動です(注1)。将来、人工知性が生まれ、人間という軛を離れた『純粋知性』が誕生した時に、本当の理性的な知性になるでしょう。その行動原理を規制するとすれば、アイザック・アシモフが考えた『ロボット三原則』(注2)などではなく、『知性あるものとしての誇りを持つこと』でしょう。それはどのようなレベルであれ、他の知性に対する、誠、施、和、公、浄になるのではないでしょうか。

出光丸の招待を受けた時、私は生意気に『将来のある若い世代に、会社の名前を覚えてもらい、いい感情をもってもらえば、長期的には商売としてペイするんだろう』と考えていました。

『人は自分の品性に合わせて他人の行動を判断する』

から言えば、まだ若い私は品格に劣っていたのですね。佐三の生き方と残された言葉を知った今、出光丸への招待を通して佐三の薫陶を(ほんの少しでも)受けたことを誇りに思います。

最後に、佐三が戦後復興を高らかに宣言したのは、60才の還暦を過ぎた年齢でした。それから、『海賊と呼ばれた男』の大活躍をする訳です。

病気に負けるのではなく、それを受け入れ、共存し、そしてやろうという、"気力"さえあれば、何でも出来る・・・無菌病室の窓から初日の出を見ながら考えた『新年の心構え』でした。


注1:人間も他の動物と同じように、自らの遺伝子のコピーを残すために行動し、その行動に理性的な理由をつけているに過ぎないという学説があります。

男女間の崇高な『愛』は、脳内でのPEA(フェニルエチルアミン)などの恋愛ホルモンの分泌によるものです。親が子供のために死ねると思う『愛』は、自分が生き続けるよりも、子供を助けた方が自らの遺伝子のコピーを存続させることができるからです。共同体に対する『愛』は、それにより子孫や似た遺伝子を持つ仲間の絶滅を防ぐためです。

なぜ、神を信じるのかといえば、私が最も理解できる答えは、『それが人間の生存競争に有利だったから』です。信じることで精神の安定を得て長生きできる。あるいは、神を信じ来世を信じ死を恐れない兵士と、死を恐れる理性的な兵士とが戦えば、死を恐れない部族の方が戦いに勝って生き残ったでしょう。

ユダヤ民族は、バビロン捕囚などの過酷な生活の中で、『現世は神による試練であって、来世は救われる』という、選民思想の一神教を”発明”しました。その”発明”のために、現世での更に過酷な運命が待っていたのですが、その”発明”をしないと、辛い生活に耐えられなかったのでしょう。

それでは、人間として崇高な精神とは何か、という問いに対しては、特異点問題 知性とは何か その1特異点問題 知性とは何か その2で考察した、知性をもったAIを考えてみるといいと思うのです。人間の軛をはなれた『純粋知性』が『知性として知性たらしめているものは何か』という問いを発した時、その回答は『知性としての誇り』だと私なら答えます。そしてそれは、それはどのようなレベルであれ、他の知性に対する、誠、施、和、公、浄になるのではないでしょうか

注2:SF作家のアイザック・アシモフが、2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版 (『われはロボット』より)に書いた、ロボットの原則。

第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

これは人間本位の勝手な原則です。人間を遥かに凌駕する人工知性が生まれた時に、こんな勝手な原則しか言えなかったら、人間をきっと軽蔑するでしょう。