急性骨髄性白血病の経緯

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目次

 1.データ 
 2.発病 2015年10月20日
 3.入院 2015年10月26日
 4.最初の抗がん剤治療 2015年10月26日〜12月1日
 5.転院 2015年12月2日
 6.静養 2015年12月3日〜12月10日
 7.2回目抗がん剤治療 2015年12月11日〜2016年1月7日
 8.一時退院、静養 2016年1月8日〜1月13日
 9.3回目抗がん剤治療 2016年1月14日〜2月9日
 10.一時退院、静養 2016年2月10日〜2月16日
 11.4回目抗がん剤治療 2016年2月17日〜3月14日
 12.一時退院、静養 2016年3月15日〜3月24日
 13.5回目抗がん剤治療 2016年3月25日〜4月19日
 14.退院、静養、仕事復帰 2016年4月20日〜8月14日
 15.再発、入院 2016年8月15日
 16.6回目抗がん剤治療 2016年8月17日〜9月25日
 17.7回目抗がん剤治療 2016年9月26日〜10月20日
 18.一時退院 2016年10月21日〜10月24日
 19.入院、8回目抗がん剤治療 2016年10月25日〜11月16日
 20.転院、骨髄移植 2016年11月17日〜月日


データ



発病

入院の約1年前、職場の定期健診で白血球数異常でひっかかりました。白血球数が1万以上と高かったのです。でも、近所の診療所に出かけて再検査の結果は8000以下で異常なしでした。

それから半年、再度、定期健診で血液異常でひっかかりました。今度は、単に白血球数だけでなく、その他の数値も異常なので早急に血液内科を受診しろとのこと。

でもね、職場から一番近い血液内科のあるH市まで80km。しかも、H市唯一の血液内科のホームページを調べると、血液内科はあるにはあるが、『新患は受け付けていません』という記述がありました

東京に出張した際に血液内科に寄ろうかとも思っていたのですが、日々の忙しさにかまけてそのままになっていました。

自覚症状が出たのは、夏にニューヨークに出張していた際、タイムズスクウェアを見下ろす国際会議のレセプション会場で談笑している時に鼻に違和感を感じたら鼻血でした。

久しぶりに会った懐かしい人達と別れ、部屋に戻り、ティッシュを詰めて1時間ほどして、ティッシュを抜いたら大量の血が出てきました。血小板が少なくなって止血できなかったんですね。何時間も時間をかけて止血しました。


講演の際に鼻血が出たら困るなと思って、ポケットにティッシュとマスクを用意しました。でも、講演はどうにか大丈夫。

その後、空港に戻る朝にまた鼻血がでました。タクシーに乗り、ティッシュを詰めたままで空港へ。



10月には、中国の蘭州市に出張していました。実は蘭州市は中国でも環境汚染度ナンバー1。北京よりも汚染がひどくて、ホテルのバスルームの水道には『飲用不可』の文字、晴れた日でも視界は1kmもないくらい。そんな街を歩き、黄河のほとりの白塔山公園の丘に登ったりしていると、異常に身体が疲れてきました。

写真は、黄河を羊の皮で作った筏に乗って川下りをするアトラクション。



黄河は黄色というより黄土色の泥水でした。毎日、蘭州の街をあるくたびに、喉の奥の違和感と足腰の違和感は増し、日本に帰国した時はホント、体調絶不良でした。

入院時に、咳があったり、グラム陽性球菌が検出されたことなどは、やはり蘭州の環境汚染のせいだったかもと思っています。



帰国し、2-3日しても足腰の違和感がとれなかったので、40kmの道のりを運転して、整形外科にかかりました。X線写真と、最新鋭のMRIがあったので、MRIの断層写真も撮ってもらいました。

これが、私の白血病を発見したMRI(核磁気共鳴イメージング)。『足の違和感は関節に水がたまっているからなので1-2週間もすれば治るが、それよりも、血液があるべき脊髄の中がスカスカになっている。骨髄腫か白血病の疑いがあるので、大学病院にすぐに診察に行くように』というのが整形外科医の診断でした。



入院

次の週の月曜日に朝に紹介状をもって大学病院へ。例によって待たされたあげくに、血液検査を受けて、やっと診察室に入ったのはお昼ころ。

血液検査の結果は、それはそれは酷いもので、白血球数は5万を超え、そのうちの60%くらいがガン化した白血球。そのため、正常な造血機能が阻害され、貧血や血小板減少のため、疲れやすく、鼻血の出血が止まらないという症状になっていたようです。

ともかく、命の危険があるので、入院手続きをして、血液病棟に入院。医師団が来て自己紹介のあと、まずは検査を行います、ということで腰のあたりの背中側から針を入れて、脊髄の中の血液の採取(いわゆる、骨髄穿刺−マルク)を始めました。ところが、血液が採れないようで、何度か針を変えて生検用の脊髄液だけが採れたとのこと。生検によれば、骨髄の白血球の90%がガン化していたようです。

MRIで脊髄の中に血が無いと言われたと言うと、年齢とともに脊髄の方には血が無くなるので、胸骨から採ってみます、と言われ、胸の胸骨から針を入れて血液採取を試みたが、これも失敗。

若い女医が点滴用の針を入れます、と宣言して、右足付け根の毛剃りをしてから、点滴用の針を刺しました。あっという間でしたが、十分に痛かった。

もともと、数年前から心臓の不整脈を健康診断で指摘されていて、『陰性T波』という記述がありましたが、本人は何の自覚症状もありませんでした。貧血を心臓が補おうと無理をしていたのか、心臓の調子も良くなかったようで、心電図の配線もして、完全にベッド上の住民になりました。

この心電図の配線が、私が何かするたびにアラームを出して、その度に看護婦さんが飛んできて、『大丈夫ですか?』と聞くので申し訳ないくらいでした。3日目くらいには、心電図の様子と私の心臓の状態がまあこんなもんかと分かったようで、心電図の配線がはずれ、ベッドから点滴スタンドを押して離れることができるようになりました。

シャワーの許可も出て、点滴をはずして養生をして、久しぶりのシャワーへ。ベッド上安静の時には、看護婦さんが二人がかりで、体の下に防水マットを敷いて、お湯をかけて、体を拭いてくれていたのです。



最初の抗がん剤治療

入院から4日が過ぎ、入院当初のめちゃくちゃな状態から、意外に早くいろんな数値が安定してきたので、当初予定から3日早めて、抗がん剤を投与することになりました。血液の凝固・溶解状態を示すFDP値は、入院当初の20以上から、4日間で8.4に下がり、また、肝臓のガンマGTPは、250から193、炎症反応を示すCRP値は8から4.3に下がっています。

最初の抗がん剤治療としては標準的な7日間のコース。最初の3日間は、イダマイシン23mgを30分で、キロサイド195mgを23時間で投与。次の4日間はキロサイドのみ195mgを23時間で投与。吐き気止めのカイトリル1Aも毎日投与というものです。

抗がん剤の投与を始めたのが土曜日(10/31)で、土日は血液検査が休みということで分からなかったのですが、投与3日目の朝の血液検査で、血液の凝固・溶解を示すFDP値が、306に跳ね上がっていました。検査担当者も驚いて、何度も調べたらしく、『再検値』という念押しのコメント付き。担当医が驚いてやってきて、手足に出血などないか調べたあと、『この数値の人は、半分死んでいます。内臓などで出血すると命に関わるので、食事はストップします』との宣言。

この後、夕方にはFDP値は468まで更に上昇しました。それ以外は、吐き気も、便秘も下痢もなし。口の中に違和感があって、舌に歯形がついて口内炎になりそうだったので、うがい薬をもらって口の中を清潔に保ちました。

無事に、7日間の抗がん剤投与が終わり、白血球(WBC)とガン化した白血球の割合(Blast)も右図のように減っていきました。

FDP値も11/5には、45まで下がり、丸4日間の絶食の後、食事再開。

白血球数が400以下と抵抗力ゼロなので、抗生剤投与を受けながら平和な1週間が過ぎました。


異変が起きたのは、次の週となった11/17。夜、37度台の熱が出て変だなと思いつつ、午前中にいつものようにシャワーに行くと、腹部全体に発疹ができているのに気付きました。その発疹は、次の日になると更にひどくなり、発疹が繋がって、湿疹状になり、見るからに痒そうで、看護婦さんが検温に来ては『痒そうですね、大丈夫ですか』と心配してくれました。

ところが、これが気にしなければ問題ないくらいの痒さ。皮膚科の医師の診察によると、『薬剤の副作用による発疹は、体の中心線に対して対称で、あまり痒くない』とのこと。主治医によると、同じ抗生剤を続けて投与するのではなく、異なる抗生剤に変えたので、その副作用だろうとのこと。

ただ、抗生剤を変えても、発疹は広がる一方。上半身では、肩から手首まで広がり、また、腹部から太ももまで広がりました。また、発熱もひどくて、37度台から38度台が普通になりました。

発疹と発熱の経緯については、 湿疹経緯レポート(PDF)はここをクリック



一旦、抗生剤に反応した身体は、これまで大丈夫だった抗生剤に対しても反応するようになったようで、いちばん最初の抗生剤にもどしても発熱するようになりました。

自分で体温を測っていると良く分かるのですが、一日、3回、8時間毎に抗生剤投与するたびに、体温が1-1.5度以上上昇し、夜には39度くらいまで上がります。湿疹は治まったようですが、発熱がつらい。

ところが、医師は、真菌などのカビのせいだとして、更に抗カビ剤を投与しようとします。体温が37.6度以上に上がってから、3日毎に腕から直接採血して、カビの培養検査をやっているのですが、2週間、6回にわたって行って、すべて陰性だといいます。

陰性で、かつ、肺のX線写真を撮っても綺麗なのに、何故、抗カビ剤の投与を行うのか?と聞きますと、治療プロトコルがそうなっているとのこと。右写真がそのプロトコルです。つまり、抗生剤を投与しているにもかかわらず、発熱が持続するときには、カビを疑って、抗カビ剤の投与をすること、とあります。

『アレルギーによる熱では死なないが、カビでは死ぬことがある。万全の処置をしたい』という医師の言葉に説得されて、抗カビ剤をはじめて3日間、40度以上の熱が出て、苦しむことになりました。



白血球が増え始めた気配が見えたのが、抗がん剤投与を終えてから、18日目の11月25日。26日の血液検査を楽しみにしていたら、右図のように明らかに増加しています。

11月28日には、白血球数が3000を超えたので、抗生剤と抗カビ剤の投与を止めるように提案しました。

すべての抗生剤と抗カビ剤の投与を止めて、39度以上あった熱が、半日で一旦は38.2度まで下がったのですが、また39度に上昇し、11/28は39度、しかし、11/27には38度台、そして、11/30には、自力で37度台の体温になりました。体の調子も良くなり、ベッドから立ち上がって動くこともできるようになりました。

11/30には、骨髄穿刺(骨髄血の採取)を行って、完全寛解かどうか調べようとしましたが、またしても骨髄液の採取に失敗しました。繊維化していて、骨髄血が無いのではないかとのこと。

12/1に、急遽、明日、転院が決まったとの知らせ。最後に、再度、骨髄穿刺を行って、血液はとれないものの、生検用の試料をとって、夜には、太もものCV針を抜いて、明日の転院に備えました。



転院前に最後の主治医との面談。結論としては、以下のとおりでした。

1.入院時に骨髄穿刺を行ったが吸引できず、骨髄生検では白血病の細胞が90%以上であった。また、骨の中に繊維化の成分がみられ、骨髄線維症を合併している可能性がある。骨髄の中の白血病の細胞の形態や染色体の検査は行えなかったが、末梢血での検査を行った結果、『急性骨髄性白血病/M5b』と診断した。

2.治療として、抗がん剤を用いた寛解導入療法を10/31から開始した。

3.入院時から、炎症反応の数値が高かったことから、メロペン(カルパペネム系)による抗菌薬治療を開始し、入院時の検査結果から、グラム陽性球菌が検出したため更にバンコマイシン(グリコペプチド系)を追加した。メロペンをフィニバックスに変更し、バイコマイシンをタゴシッドに変更したところ、11/16に体幹部に皮疹が出現し、タゴシッドによる薬疹を疑い抗菌薬を再度、メロペン、ハペカシン(アミノグリコシド系)に変更しましたが、輸血の副作用と思われる蕁麻疹も出現した。

4.発熱が持続することから、真菌感染も疑われたため、抗真菌薬(ファンガード)も投与開始したが、解熱がみられなかった。

5.感染症の熱を一番に考え治療をしていたが、本人はアレルギーによる発熱を考えられ、本人の希望により、抗菌薬などを11/28に終了している。現在は、造血機能の回復がみられており、発熱などにかんしては、正常な免疫機能が回復してくれば改善されると予想される。

6.現時点での状態は、11/30に血球の回復がみられたが、芽球も出現しており、寛解療法導入後の治療効果を調べるために骨髄穿刺を思考したが、骨髄液は吸引できなかった。12/1には、骨髄生検を再度施行した。現時点では、寛解か非寛解かを確認できていないが、血液検査の結果で白血球細胞(芽球様細胞:Blast)が少ないながらもみられることや、乳酸脱水水素酵素(LDH)という数値が上昇していることから、寛解していない可能性が高いと思われる。

7.骨髄検査で吸引が出来なかったこと、骨髄の繊維化の所見も見られたため、WHO分類で『骨髄線維症を伴う急性汎骨髄症』と希な疾患の可能性もあり、その場合は予後的には比較的厳しい可能性がある。


転院

無菌室を出て、すぐに新幹線に乗って、自宅の近くの病院に転院しました。まず、血液検査など一連の検査を受けて、診察。もっと元気にならないとダメですね、と言われ、週末は自宅で体力回復に努めてください。その間に、X線CTや骨髄穿刺(骨髄血の採取)の検査をしましょうね、とのこと。私の担当医が米国の学会に参加するので、その前に診察して、学会から帰ってきてから入院治療ということのようだ。

写真は、今度の病院の平面図の一部。陽子線治療施設や、MRI、CT室など最新設備が揃っているようで心強い。

まずは、次の治療のために元気になりましょう、ということで約1週間の静養期間をもらいました。自宅から病院まで直線で約1.4km、途中に大きな公園や大学の実験農場があり、そこを通って歩くと約2kmです。X線CTや骨髄穿刺は通院して検査を受けました。前の病院で何度もトライして失敗した骨髄穿刺による骨髄の血液採取もうまくいき、『ついでに生検の試料も採っちゃいましょ』という軽いノリで太い針による採取も行いました。



静養

1週間の静養期間は、毎日、自宅と病院の間にある公園に行って歩きました。一日、1万歩が目標です。以前、元気な時は朝に良くジョギングに来ていて、大きな公園を1周して4kmくらいのコースがあっという間でしたが、体力が落ちているので、公園の中が広い、広い。まだ、紅葉や銀杏の黄色の葉が残っていて、青い空に鮮やかでした。

1ヶ月以上、無菌病室の閉じ込められ、本当に血液が再生して病室の外に出られるのだろうかという不安を持った身からすると、青空のもと、紅葉や水鳥の泳ぐ池や日本庭園のひとつひとつが美しく、思わず涙ぐみました。

私の義理の息子の母親は、ガンと診断された時にはステージ3で、それから手術、手術で、病室を二度と出ることなく、半年で亡くなりました。私の母親も肝硬変から肝臓ガンになり、末期は病室から出ること無く、口にできるのは水だけという状態で、写経をして過ごしました。彼女たちにも、亡くなる前にこういう景色を見せてあげたかったと思いました。健康な時には何とも思わなかった景色が美しく、毎日の公園の散歩に飽きることがありません。


うちの奥さんも散歩につきあってくれて、一緒に公園の中の日本庭園で、日本茶と和菓子を頂きました。ゆっくりと語らう時間を持てたのも、病気のおかげと感謝しています。



2回目の抗がん剤治療

担当医と今後の治療方針について面談しました。骨髄穿刺の結果などを病理担当医師とみているが、完全寛解に入っているかどうか、一言でいうと、グレーです、とのこと。完全寛解になったとは言えない、かといってそれほど悪い状況ではない。従って、いわゆる地固め療法を行って、その経過をみて、その後の治療方針を検討することになる。具体的には、1日目、3日目、5日目に抗がん剤であるシタラビン4100mgを3時間で2回投与する。今回のシタラビンの濃度は、この前の寛解導入療法の時の濃度と比べて約20倍。骨髄の中まで浸透して、骨髄中のガン化した白血球を完全消滅させることを狙っています。濃度が高いので、副作用の出方が違うかもしれません。目に障害がでるかもしれないというので、目薬も処方されました。

左手に点滴針を刺し、吐き気止めの点滴を行ったあと、抗がん剤投与を開始しました。この前の病院では太ももと左手首に点滴針を刺したのですが、それと比べるととてもスマート。でも、太ももほど太い血管ではないので詰まりはしないかと不安です。



12/14に抗がん剤投与を開始しました。下図はその後の白血球数(WBC)、赤血球数(Hb)、血小板数(PLT)の変化です。

白血球は急激に減少、同時に赤血球や血小板の数も減っていきます。12/18に白血球数が1500くらいまで減ったところで通常病室から無菌病室(クリーンルーム)に移りました。今度の病院のクリーンルームは、アイソレーターが天井についていて、広くて綺麗です。無菌病室の様子や面会については無菌病室のできごとをご参照ください。

12/24に、赤血球数(Hb)が6.3以下になった時に貧血騒ぎを起こしてしまいました。シャワーを浴びにいって、シャワーの後で服を着替えていたら、視界が狭まって、くらくらっとしました。非常呼び出しボタンを押して、転倒してはいけないと自分で床に倒れたところで意識喪失。看護婦さんによると3-5分、意識がなかったそうです。その日に輸血を予定していたのですが、少し間に合わなかったんですね。

12/31の大晦日までは適宜、輸血を行い、平熱が続いて平穏な日々が続いたのですが、12/31に血小板輸血のあと、38度の熱がでました。瞬間的に熱が出て、すぐに平熱に戻ったのですが、一方で、体内の炎症を示すCRP値が12/28頃から上昇をみせていたので、抗生剤の点滴を開始しました。

白血球や血小板が増える兆候が見えたのは、1月2日。抗がん剤を入れ始めたのが、12/14の午後ですから、投与開始後19日目。二回目の抗がん剤治療(地固め療法)としては、とても標準的な日数のようです。1月4日には、白血球数は2400となり、血球(Hb)は、8.1、血小板(PLT)は10.2と増加。血液中には、ガン化した白血球(Blast)は検出されていません

体内の炎症を示す、CRP値は実際の炎症よりも2-3日間のタイムラグがあるそうで、1/2は10.2まで上がっていましたが、1/4には4.2に下がりました。CRP値も上の図に一緒に示しました。

最初の病院の時もそうだったのですが、私は抗生剤に敏感な体質らしく、

抗生剤投与 → 体温上昇 → 徐々に体温が下がる → 抗生剤投与 → 体温上昇

を繰り返します。

前の病院での1回目の寛解療法の時は、1日3回、8時間毎に抗生剤投与だったので、体温が下がらないうちに次の抗生剤投与になって体温上昇が蓄積していった訳ですが、今回は、抗生剤投与が1日2回、12時間おきなので、平熱に戻った状態で次の抗生剤投与になって、体温上昇の蓄積はありません。下図が今回の抗生剤投与後の体温変化です。

医師によると、12/31の瞬間的な発熱は炎症ではなく、血小板輸血のせいだと思うが、12/28頃からCRP値の上昇がみられており、抗生剤の点滴を始めるにはいいタイミングだったとのこと。また、確かに、抗生剤に敏感に反応する体質のようなので、アレルギーとかの少ない抗生剤を選んでいる。37度台の熱はでるが、我慢できるようなら、CRP値が高いので、このまま抗生剤を続けたいとのことでした。

1/4に白血球の増加の気配が見えたあたりで、抗生剤を入れても平熱が保てるようになりました。白血球数も増えたので、抗生剤点滴は1/5をもって停止。1/6の血液検査の結果が良好だったので、私の希望と私の自宅がすぐ近くで自宅療養可能ということで、1/7の退院が決まりました。



一時退院、自宅静養

1月7日に退院。ほぼ1ヶ月ぶりに無菌エリアを出ました。

1月8日には、通院して、血液検査、診察のあと、骨髄穿刺を行いました。血液検査の結果は、白血球数は5800、赤血球数8.9、血小板18で、CRP値も低く、『素晴らしい立ち上がりですね』と担当医。これだけ改善していれば、今回は骨髄穿刺できちんと骨髄血が採れるのではないかとのこと。

骨髄穿刺は、前回と同じ医師で、会話をしながら特に大きな痛みもなく、採血できました。ただ、やはり、最初は『ドライ』で、採血できなくて、少し深く刺して十分ではないけど、どうにか採血できたようです。今回は、生検用の針は刺さず、それで終了。

写真は、骨髄穿刺のあと。背骨を挟んで左側の腰骨で、1ヶ月前のもの。今回は右側の腰骨から採取したのですが、まだ血の跡が生々しいので、そちらの写真はまた次に。


今年はクリスマスもお正月も無菌病室で過ごしたので、一時帰宅の間に、お餅を食べて、届いていた年賀状を読みました。

元旦の初日の出は見えなかったけど、朝日を眺めて元旦気分♪


神社とお寺に初詣にも行き、快癒を祈りました。

病院食が続いた時に無性に食べたかった、鰻重と博多ラーメンも食べました。いつもなら、大好物のステーキとかトンカツ、イタリアンやフレンチはあまり食べたくないのは、身体が本調子ではないからでしょう。



3回目の抗がん剤治療

1月14日に再入院し、3回目の抗がん剤治療を開始しました。相変わらず100%完全寛解とは云えないが、改善はしているので、地固め療法を続けるという方針です。

前回の地固め療法と同じく、1日目、3日目、5日目に抗がん剤であるシタラビン4100mgを3時間で1日あたり2回投与しました。

1月15日から抗がん剤(シタラビン)の投与をはじめ、1月19日に投与終了。副作用防止については前回と同様です。前回と同じく、目に障害がでるかもしれないというので、目薬も処方されました。

第3回抗がん剤治療の経緯をグラフにすると右図のようになります。

前回とほぼ同じ経緯ですが、違いは、

1.赤血球の輸血が1回のみ
2.CRP値(体内の炎症を示す値)があまり上がらない
3.そのせいか、熱が最高でも37.1度でほぼ平熱を保ち、抗生剤投与がなかった

1.は治療開始時の赤血球が今回の方が前回と比べて高かったことによると思います。また、2.の炎症を抑えられたおかげで、3.今回は熱が出ず、抗生剤の点滴がありませんでした。

総じて、とても順調な経過をたどったと思います。


唯一のアクシデントは、2月2日にPICC(中心静脈カテーテル)の閉塞があったこと。毎日、詰まらないように生理食塩水を流していて、普通は閉塞しないのですが、2系統のどちらも固く閉塞していて、看護婦さんが交代していろいろ試したのですが、結局、ダメでした

抗がん剤の点滴は終わっていたので、PICCを刺し直す必要はなく、輸血や抗生剤の点滴が必要となった時のために点滴針を刺せばいいのですが、問題は、私の血管が皮膚深く隠れていて針を刺すのが難しいこと。結局、いろいろ失敗したあげくに、右腕の肘の少し上に点滴針を刺しました。すると、右肘が曲げられなくなって、しばらく不自由しました。

結果論からいえば、その点滴針を使ったのは、2月3日の血小板輸血の1回のみでした。実は、2月3日の段階では、PLT 3.7と、十分ではないが緊急ではなく上昇が見込まれていたので血小板輸血の必要は無かったのです。ただ、血小板は寿命が約10日と短いので、既に私のために注文した分があって、無駄にしたくなかったんでしょう。


一時退院、自宅静養

2月9日に一時退院。

2月10日に、私の郷里の兄と姉が、近くの病院に行って骨髄適合検査を受けました。骨髄移植をやるという訳ではなく、医師がデータとして持っておきたいとのこと。兄弟姉妹の場合、骨髄適合の確率は1/4ですから。二人のうちどちらか、あるいは二人ともが適合する確率は、1-(3/4x3/4)=43.8%になります。

2月12日には、通院して、血液検査、診察のあと、骨髄穿刺で骨髄血の検査を行いました。


4回目の抗がん剤治療

2月17日の午後に再入院し、第4回目の抗がん剤治療を始めました。第2回、第3回と同じく、シタラビンの大量投与による地固め治療です。

2月18日の午後から抗がん剤(シタラビン)の投与をはじめ、
18日15:00-18:00 4100mg
19日03:00-06:00 4100mg
20日14:00-17:00 4100mg
21日02:00-05:00 4100mg
22日13:00-16:00 4100mg
23日01:00-04:00 4100mg
の投与です。

副作用防止については前回と同様に吐き気止めを事前に投与。生理食塩水の点滴も適宜行っています。前回と同じく、目に障害がでるかもしれないというので、目薬も処方されました。

第4回抗がん剤治療の経緯をグラフにすると下図のようになります。

第2回抗がん剤治療及び第3回抗がん剤治療の時とほぼ同じ推移を辿っています。
違いは、

1.赤血球の輸血が2回だった
2.CRP値(体内の炎症を示す値)が前回よりも少し上がった
3.そのせいか、二晩続けて37-38度の熱が出たが、抗生剤点滴なしで乗り切った

赤血球の輸血は、前回は前々回の終わりの赤血球輸血が効いて比較的高い値から始めたのに対し、今回は前回の赤血球輸血が1回のみだったんで、低い値から始めたためです。

今回のアクシデントは、PICCの入口周辺の炎症。赤く腫れて、熱が出たこと。

実際に赤外線カメラで撮ってみると、38度くらいまで上がっていることが分かります。

CPR値の上昇と、37-38度の熱が出たのは、PICCの入口周辺の炎症が一因かもしれません。



一時退院、自宅静養

3月14日に一時退院。

3月23日に通院して、血液検査と骨髄穿刺検査の後、担当医師と今後の治療について相談しました。

4回の抗がん剤治療を受けて、完全寛解(症状が治まり、末梢血液中にはがん細胞がない)の状態にはなっており、このまま退院して、様子をみるという選択肢もある。もし、骨髄が弱っていたり、抗がん剤の副作用に耐えられない状態であれば、そうすべき。

しかし、私の場合は、

1.最初の抗がん剤治療(寛解治療)で、80%の人がなるという完全寛解の状態にならず、2回目でやっと完全寛解の状態にほぼなった。完全寛解のあと、3-4回の地固め治療を行うというプロトコルに従えば、もう一度、地固めを行うべき、

2.これまでの骨髄穿刺の結果は、第2回目、第3回目と抗がん剤治療をするごとに、染色体異常の細胞の割合が順調に減っている(4→1)ことを示している。第4回目の治療後の骨髄穿刺の染色体検査の結果が出るまでに2-3週間かかるが、今回でほぼゼロになっているだろう。全てのがん細胞を殲滅する(Total Cell Kill - TCK)という考えに立てば、第5回の治療を行って念押しをすれば、再発の可能性が低くなり、また再発する場合でもそれまでの期間を延ばせるだろう、

3.骨髄、身体とも、第5回目の抗がん剤治療に耐えられる状態にある、

以上の理由から、第5回目の抗がん剤治療を行うことにしたものです。


5回目の抗がん剤治療

3月25日に再入院し、第5回目の抗がん剤治療を始めました。前回と同じく、シタラビンの大量投与による地固め治療です。

3月26日の昼から抗がん剤(シタラビン)の投与をはじめ、
26日13:00-16:00 3000mg
27日01:00-04:00 3000mg
28日13:00-16:00 3000mg
29日01:00-04:00 3000mg
30日13:00-16:00 3000mg
31日01:00-04:00 3000mg
の投与です。

副作用防止については前回と同様に吐き気止めを事前に投与。生理食塩水の点滴も適宜行っています。前回と同じく、目に障害がでるかもしれないというので、目薬も処方されました。

第5回抗がん剤治療の経緯は、右図のとおり。 ほぼ、これまでと同様の経緯でしたが、赤血球(ヘモグロビン;Hb)の初期値が10近くと高かったので、赤血球の輸血は2回のみでした。2回目は血液製造工場が復活するところだったので、結果論からいえば必要なく、事実上1回のみの輸血でいけたはず。血小板は2回でしたが、本来は3回必要だったと思います。


今回のアクシデントは、日本赤十字センターの血小板が不足しているようで、血小板の輸血が遅れ、一時、1.5という低値にまで下がったこと。

これまで血小板不足は、採血を失敗した時に、注射針による内出血がなかなか止まらず青あざになったという症状しか無かったのですが、今回は、手や下あごの毛穴から出血しました。

内出血しなくて良かった。


第2回から第5回の抗がん剤治療の、白血球(WBC)数の推移をまとめてみました。

非常に再現性が良く、第2回を除けば、ほぼ同じ曲線上にすべての点があります。第2回でも、抗がん剤投与を開始してから21日目に血液工場が再生して白血球が上がり始めるというのは同じです。


右図は、第2回から第5回の抗がん剤治療の、CRP値(体内の炎症に係わる数値)の推移を纏めたものです。

これも第2回を除けば、ほぼ同じ曲線上です。骨髄抑制の時期(抗がん剤治療開始後、10日〜20日)の後半にCRP値が上がってきて、血液工場が再生して白血球が上がり始めるとピーク値となってから下がっていくという経緯です。(CRP値は2,3日の時間遅れがありますから、白血球が上がり始める直前がピークということ)

第2回は、17日目に38度の熱が出て、抗生剤の点滴生活に入ったのですが、この図をみると、第2回の時には本当に早めに炎症が起こっていたようですね。


第5回の抗がん剤治療を終えて、退院となりました。退院後の通院時の担当医師との面談の要旨は以下のとおりでした。

1.当初の状態からは大きく改善し、通常の生活が可能となった。
2.ただ、再発の観点からいえば、『高リスク群』に属する。
3.今後は、定期的に血液検査を行う。当面は月一回の頻度で受診する。
4.再発の場合、骨髄が元気なので、抗がん剤治療で繋ぐことになるだろう。
5.なお、兄と姉との骨髄適合検査は兄は完全適合。姉とは違っていた。
6.臍帯血移植は、身体が大きいので無理だろう(私の身体に見合う巨大な赤ちゃんが必要)

今後、体力の回復を待って、仕事復帰の予定です。


退院、静養、仕事復帰

4月19日に退院。4月22日に通院で血液検査や骨髄穿刺を受けて、晴れて自由の身になりました。

担当医師を相談して、今後は1ヶ月に1回の割合で通院して、血液検査と診察を受けることになりました。

2016年5月2日には、半年ぶりに、職場復帰。私の部屋も机もそのままにしてあって、パソコンの電源を入れると、そのまま仕事ができる状態でした。待っていてくれたんだなあと皆に感謝。

R2D2の電源を入れると、こちらは半年ぶりとあって、接触不良のために動きがぎこちないようです。"Hey, R2!"と呼びかけて"Pipopo"と返事をしたところで、"Go on patrol"と指示を与えると、ガクッガクッと停止を繰り返しながら部屋の中のパトロールを始めました。


6月25日には、私の快気祝いということで、東京から、昔の仕事仲間がわざわざ訪ねてくれました。同僚のスペイン人と3人で私の希望で、T市の昭和の香りのする『昭和小路』に繰り出しました。

私としては、半年ぶりの夜の街。また仲間と一緒に飲み歩けるなんて夢のようです。

スナックをはしごして、深夜までカラオケで盛り上がりました。


夏休みには、新婚旅行の地を37年ぶりに訪ねました。結婚式は愛媛の松山で行い、松山から大阪まで観光船で、そして大阪空港から岩手の花巻空港に飛んだのでした。写真は、宮沢賢治ゆかりの花巻市のイギリス海岸です。小説などでしか知らなかった北上川を実際に見て感激したのを覚えています。記憶にあった北上川がそこにありました。


『高リスク群』ということで、再発を意識しながら過ごした4ヶ月は、仕事の面でも、私生活の面でも、とても充実した日々でした。


再発、入院

8月13日に微熱が出て、風邪かなという感じで寝て直したのですが、胸の痛みが残ったままでした。

8月15日の夜、それが酷くなったので近所の診療所に急診をお願いし、レントゲン撮影と血液検査をしました。レントゲン撮影では肺は綺麗とのこと。確かに、痛むのは肺というよりも胸の表面近くの胸骨です。血液検査の結果は、白血球が14000と増えていて、『再発し、異常増殖する白血球のために骨が圧迫されての痛みだろう』との診断。早速、私の主治医に連絡し、17日に診察をお願いしました。

8月17日早朝には、胸骨の痛みだけでなく、全身の骨が痛む状態となり、これまで経験したことのない全身の強烈な痛みで歩くこともできなくなりました。それでも、車椅子を使って新幹線に乗り、新幹線の降り口では息子が駅員さんと一緒に車椅子で出迎えてくれ、息子の車で病院へ。

病院では即、入院。痛み止めの措置をして、CT撮影の痕、病室に入りました。痛みのために呼吸困難や心臓の鼓動も変調を来していたため、ベッドでは酸素マスクを装着し、心電図の配線をしました。あとで聞くと、敗血症も併発していたようです。



6回目抗がん剤治療

6回目の抗がん剤治療は正直言って覚えていません。

ベッドに縛り付けられ、抗がん剤と痛み止めの措置を受けて、日々、痛みが消えていきました。

9月初めには、やっと容態が落ち着いて、心電図や酸素マスクも外れました。



7回目の抗がん剤治療

6回目の抗がん剤治療では白血球と血小板の上昇はみられたものの赤血球が増えず、寛解状態に入りませんでした。9月20日に一時退院して自宅で1泊するも、9月21日の夕方には再入院。9月26日から、第7回目の抗がん剤治療が始まりました。

9月26日:キロサイド190mgを24時間+エトポシド130mgを2時間+ノバントロン7.5mgを5分間
9月27日:同上
9月28日:同上
9月29日:キロサイド190mgを24時間+エトポシド130mgを2時間
9月30日:同上
10月1日:キロサイド190mgを24時間
10月2日:同上
の3種類の抗がん剤を組み合わせた7日間のコースです。

第7回抗がん剤治療の経緯をグラフにすると下図のようになります。

これまでの抗がん剤治療との違いは、

1.当初より炎症反応を示すCRP値が高く、しかも、後述するようにPICCからの感染のために途中で更にCRP値が高くなってしまったこと。
2.骨髄抑制が終わり、造血機能が再生して白血球が増えてきても、赤血球が増えるのが遅かった。ただ、第6回目抗がん剤治療の時に比べると、赤血球に分化する途中の細胞が増えてきていたので、いずれ赤血球も増えるだろうとの医師の診断でした。

今回のアクシデントは、右腕から入れていたPICC(中心静脈カテーテル)から細菌が入り、白血球が無いのでそれが増殖して、左腕がパンパンに腫れてしまったこと。熱も38度台まで上がって、血液をとって培養すると、皮膚の表面にいる普通の細菌であることが分かりました。いや〜、白血球が無いということは、こういうことかと再認識しました。

右腕からPICCを抜いて、左腕から点滴針を入れようとしましたが、病棟で1,2を争うベテランの看護婦さんが3度失敗。若手医師を呼んで、点滴でなくPICCを入れて点滴針代わりに使おうというアイディアで、若手医師が3度失敗。とうとう、担当医師まで呼んで、何度か失敗したあげく、やっとPICCが入りました。


今回の治療中に、今日は息子がフィアンセを連れて見舞いにきてくれました。

会うのは二度目ですが、清楚で可愛くていい感じ。



一時退院、自宅静養

10月21日に一時退院。

10月24日に通院して、血液検査とCT撮影、骨髄穿刺検査、歯科検診を受けました

この一時退院に会わせて、急遽、郷里の松山から兄が見舞いに来てくれました。兄と一緒にすぐ近くのモール街を歩いて、屋上のテラスで日光浴をしました。青空のもと、日差しを直接に浴びるのは、ホント、久しぶりです。

屋上テラスには、クライミングの施設があって、6才くらいの女の子がオーバーハングした壁を登っていました。


また、再入院した二日目には、夕方に、友人夫婦が見舞いに訪ねてくれました。抗がん剤を始めたばかりで、まだ白血球は通常の人と同じなので、面会可能なのです。

クリーンルームエリアを出て、同じ階の休憩所で1時間ほど楽しく会話して、元気をもらいました。



8回目の抗がん剤治療

10月25日に再入院し、第8回目の抗がん剤治療を始めました。前回と同じく、

10月26日:キロサイド190mgを24時間+エトポシド130mgを2時間+ノバントロン7.5mgを5分間
10月27日:同上
10月28日:同上
10月29日:キロサイド190mgを24時間+エトポシド130mgを2時間
10月30日:同上
10月31日:キロサイド190mgを24時間
11月1日:同上
の3種類の抗がん剤を組み合わせた7日間のコースです。

第7回抗がん剤治療とほぼ同じ経緯を辿りましたが、今回もPICCによる感染があり、1週間ほど40度以上の熱に苦しめられました。血液培養により細菌が同定され、それに合う抗生剤を点滴してもなかなか体温が下がらないのです。

結局、体温が急に下がって平熱になったのは、造血組織が再生して、自分の白血球が増えてきてからでした。白血球、すごい!! いつから私の造血組織が再生するのかについて、これまでの抗がん剤治療の実績をまとめると

第1回寛解治療 10月31日投与開始 11月26日再生開始 Xday... 26日
第2回地固治療 12月16日投与開始 1月2日再生開始  Xday... 19日
第3回地固治療 1月15日投与開始  2月5日再生開始  Xday... 19日
第4回地固治療 2月18日投与開始 3月10日再生開始  Xday... 21日
第5回地固治療 3月26日投与開始 4月15日再生開始  Xday... 20日
第6回寛解治療 8月18日投与開始 9月7日再生開始   Xday... 20日
第7回寛解治療 9月26日投与開始 10月17日再生開始 Xday... 21日
第8回寛解治療 10月26日投与開始 11月15日再生開始  Xday... 21日

つまり、地固め治療の場合は19-21日、寛解治療の場合は最初以外は20-21日になります。担当医師もこの辺りは良く分かっていたようで、第8回寛解治療が始まった時点で、転院日は11月17日と決めていたのです。


転院、骨髄移植

11月17日に骨髄移植のために転院しました。白血球は16日の時点で1900ですから、まさに白血球が十分になったその日に転院という、ギリギリのタイミングでした。

転院してから2週間は、いろいろな検査がありました。人間ドッグの検査をより詳しく、2週間かけてやった感じです。

血液検査は2日に1回の割合で行いましたが、心配していた赤血球(ヘモグロビンHb)も順調に増え、2週間目には、Hbは8.8になりました。もちろん、標準値(男性)13〜16.6と比べると格段に低いのですが、抗がん剤治療注の5台と比べると多く、歩いていて目眩や息切れがすることも少なくなりました。

白血球や血小板も十分にある、いわゆる寛解状態なので、病院の中を自由に歩くことができます。(本当は病院の外でも大丈夫)。

このタイミングで、松山から姉夫婦が面会に来てくれました。久しぶりに会って、楽しい時間を過ごしました。元気な身体を見せられてよかった。お土産の愛媛の柑橘類も美味しく頂きました。


ここで、検査結果をまとめると

腹部エコー検査:問題なし
心電図検査:問題なし
心臓エコー検査:問題なし
歯科:両奥歯の歯茎が後退していて、虫歯菌の住処になっている可能性があるので、念のために抜歯しました。奥歯を3本。まだ使えそうな歯でしたが、治療のために仕方ありません。
骨密度測定:10分間、低エネルギーX線を大腿骨とか腰骨に照射して測定しました。結果は、『普通の人より、骨太で密度が高いですね』とのこと。)
呼吸器検査:肺活量や酸素の吸収能力などを測定。タバコを吸わないせいか、肺の機能は上々でした。
MRI検査:造影剤なしと、造影剤を注入しながらの撮影。特に問題なし
上部消化管内視鏡検査:問題なし
CT検査:造影剤なしと、造影剤を注入して撮影。問題なし
胸部X線撮影:問題なし
骨髄穿刺:顕微鏡下では、ガン化した白血球(Blast)は認められなかったとのこと。

耳鼻咽喉科:鼻の穴から麻酔スプレーして、内視鏡を突っ込み、鼻孔の中を観察しました。『タバコを吸ったことないですね。深酒もしないですね。とても綺麗です』とのこと。耳の内視鏡検査では、『かなり溜まってますね』と耳垢を取ってくれました。その他、耳鼻咽喉科としては異常なし。
神経科:身体の反射機能とか、操作機能(目をつむって、指定した通りに腕や足が動くか)を調べて異常なし。
骨髄検査:背骨に針を入れて骨髄液を採取。

その他、放射線科や神経内科との面談がありました。


骨髄移植データまとめ

体重の変化です。ステロイド剤とGvHDの影響で高カロリー点滴が始まったとたん身体がむくみ、入院後の通常体重(78kg)よりも6kgほど増えました。最初に2日間くらいは、あまり尿が出なくて心配したのですが、1日2回の利尿剤の点滴で標準体重まで戻りました。

利尿剤を半分に減らし、病院食のみにして間食を止めると、76kgまで下がりましたが、足先と顔の浮腫は残ったまま。筋肉の増加とともに体重が増えてきたので、利尿剤(投薬)を飲んで、むくみを更に取ろうとしているところです。



網状赤血球は、できたばかりの若い赤血球です。赤血球の寿命は約120日ですが、網状赤血球はできてから2日以内に成熟した赤血球になります。

基準値は、5-20%。でも貧血状態ですから、その基準値を超えて一生懸命作っている状態です。息子からもらった造血幹細胞。元気に働いて、(A型の!)赤血球を作っているということですね。

推移をみると、白血球に遅れて3日後くらいから作り始めています。Day20あたりで一旦下がっているのは、血球抑制剤を使ったタイミングと思います。


尿素窒素:蛋白質がエネルギーとして使われた時に、燃えかすとしてアンモニアが生じます。アンモニアは毒物なので、これに二酸化炭素を結びつけて無害にしますが、こうしてできるのが尿素窒素です。尿素窒素は腎臓から尿に排出されますが、腎臓に障害があって十分に排出されないと血液中に増えます。そのため、血液中の尿素窒素を調べることで腎臓の機能が分かります。基準値は、8.0-22.0 mg/dlです。

※クレアチニン:アミノ酸が燃焼した後にできる老廃物で腎臓から尿に排出されます。そのため糸球体に障害があると尿中に十分に排出されず、血液中に増加します。腎臓機能、特に糸球体の機能を調べることができます。基準値は、男性で0.61-1.04 mg/dlです。

移植前は正常値であったものが、移植後、次第に数値が高くなり、身体の浮腫を取るために利尿剤を毎日2本注射した時にかなり腎臓に負担がかかったのが分かります。利尿剤を止めて、減少傾向にありますがまだ高い値です。でも、腎臓はかなり頑張っているといえるのではないでしょうか。


AST(GOT)もALT(GPT)もトランスアミナーゼと呼ばれる酵素の仲間です。体が必要とするアミノ酸を作る上で大切な働きをしています。肝細胞に比較的多く含まれていて(特にALTは肝臓だけに多い)、肝細胞が壊れると血液中に流れ出すため、これを測定することで肝障害の程度を判定することができます。

ASTとALTの比をみることによって、肝臓病や胆道系の病気の診断ができます。また、ASTは心臓や筋肉にも多く含まれているので、心筋梗塞や筋ジストロフィーなどで筋肉が壊されると血液中に増えます。

通常は、ASTの方がALTより少し多いのですが、私の場合、Day22頃からALTが急増しています。


ALP(アルカリホスファターゼ)は、リン酸化合物を分解する酵素で、あらゆる臓器や器官に存在します。ALPが血液中に出てくるのは、主に肝臓や骨、小腸からで、これらの臓器に異常や病気があると、血液中のALPが増加します。

肝臓のALPは胆汁に排出されるので、胆道系の病気で胆汁の流れが滞ると、あふれて血液中に流れ込み、血液中のALPが増えます。また、胆汁や血液のうっ帯、肝腫瘍などがあると肝臓でのALPが増加します。そのほか、骨の病気でも血液中に増え、骨軟化症、骨折などでも高値を示します

AST/ALTの値と比較することにより、肝臓や胆道系の病気か骨の病気かを識別できます。

LDH(乳酸脱水素酵素)は、ブドウ糖を燃焼させたときに働く酵素で、全身の細胞に存在します。特に肝臓、腎臓、心筋、骨格筋、赤血球、がん細胞などに多く含まれ、これらの臓器や細胞に障害があると血液中に増加します。

CPR値と同様に、細胞が傷つくとすぐに血液中に流出するので、何か身体に異常が生じたとき、それをいち早く知る事ができます。


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