一神教と多神教

Monotheism and polytheism


人類はローマ帝国以降、技術的には進歩しましたが精神的には退化したのではないでしょうか。その原因は『一神教』にあると思います。

ユダヤ民族が『他の神を許さない、絶対神で人間を罰する神』を発明し、その流れのキリスト教とイスラム教が世界人口の半分以上に蔓延した事に、現代の多くの問題の原因があると思います。


上の写真は、ローマのパンテオン神殿です。円形の神殿の中央に立つと、人間を助ける神々が周囲を取り囲み、見上げると、天空に至る円形の開口部がみえます。現世を懸命に生きる人々を、多くの神々が助けるという、現世の人間を中心とした、ローマ時代の精神を具現しています。

これ以降、一神教の教会では、絶対神が正面中央にいて、人間はその前に並んで跪き、罪を悔い、罰を受け、来世を頼み、『神の名のもとに他者を抹殺』するようになりました。

ローマが達成したパスクロマーナ(ローマによる平和)。異なる種族や宗教の人々が法のもとに平和に暮らす社会は、それ以降の人類にとって見果てぬ夢です。多神教は原始的な宗教で、一神教こそが進歩した本当の宗教であるというのが現代人の理解ですが、一神教と多神教のどちらが精神的に優れているかは、自ずと明らかであると思います。



人間は本来、多神教です。山や海、湖や森など人間をとりまく全ての自然の中に、人間を助ける神々がたくさんいて、それらの神々に感謝しつつ現世を生きるというのが人間本来のかたちだと思います。

ところが、パレスティナという民族の通り道に生まれたユダヤ民族は、周囲の大国に拉致され、奴隷として使役されました。モーゼに率いられてエジプトから脱出したり、バビロン捕囚などの辛い経験をしたユダヤ民族は、『我々は絶対神によって選ばれた民(選民)であり、現在の辛く厳しい状況は神による試練であって、来世は救われる』という言い訳を”発明”しました。来世を夢見ることにより、現世の辛さに耐え心の平安を得ることができたのでしょう。

ユダヤ民族は、この”発明”のために、その優秀さにもかかわらず、現代に至るまで悲惨な運命をたどりますが、選民であるという排他的な宗教のうちは、自らの民族以外に迷惑をかけませんでした。

問題は、その発明がキリスト教、そしてイスラム教に発展した時に、排他性を失い、むしろ布教に力を注ぐようになったことです。

一神教は絶対神であり、それ以外の神は正しくないので、当然の帰結として、間違った神を信仰する人々は道を誤った者であり、それを正すべきという結論になります。正せない場合は、ポアすること(抹殺すること)が救済になるという考えに至ります。この、異なる宗教を信じる人々の存在を許さない非寛容のために、多くの人々が神の名のもとに抹殺されてきました。

通常の戦争は富の奪い合いですから、富を奪った時点で殺戮に歯止めがかかりますが、神の名による戦争は異教徒や異端者の存在を許してはいけないので、女子供に至るまで殺戮し尽くします。

キリスト教は、暗黒の中世、そして悲惨な宗教戦争を経て、『寛容』の精神を取り入れましたが、イスラム教はその過程を未だ経ていません。

神権政治を目指すイスラム教、特にイスラム原理主義は、『寛容』の精神に欠け、神の名のもとに他者を抹殺しています。

宗教の名において他人を殺す者は、人間社会から徹底的に排除されなければならないと思うのです。