ナポリの新年は花火とともに

Fireworks at new years day in Napoli


目次

  1. はじめに
  2. ナポリ
  3. 花火
  4. ナポリの地下遺跡
  5. ポンペイ


はじめに

ある時、イタリア人の奥さんと話していたら、ナポリからナポリ湾全域にかけて大晦日から新年を迎える時に、大花火大会になるという話になりました。各家庭で花火を打ち上げて、それはそれは賑やかだとのこと。彼女の生まれ故郷はベスビオ山の麓の村。世界最初のコマーシャルソングである『♪行こう、行こう火の山へ、フニクラフニクリ♪』の村です。陽気な南イタリアの新年を見たくて、ナポリで新年を迎えてみました。


ナポリ

『ナポリを見てから死ね』と言われる、美しい港町ナポリ。確かに、ヴェスヴィオ火山を望む海岸線は美しく、蒼い海と空の色が鮮やかです。でも、市内は落書きとゴミだらけ。過密な上に陽気すぎるイタリア人の街は少し危ない感じです。


今回は新年の花火を眺めるのが目的なので、市内で最も高層のホテルを選びました。30階の部屋にチェックイン。

部屋の窓からはナポリ湾が一望できます。ヴェスヴィオ火山からソレントの街あたり。海に浮かんでいるのは、皇帝ティベリウスが隠遁したカプリ島ですね。


早速、街に出てみました。ナポリの中心は旧市街のスカッパナポリ通り。旧市街を東西に走り、街を二分する通りです。

この通りの両側に多くの名所、教会、商店が並んでいます。

狭い通りで、黒ずんだ壁に落書きがあり、とっても危ない感じ。実際、少し前までは危なくて、ナポリの原住民でさえも『何か物を無くすことなく、この通りを抜けることは不可能』と言われたそうです。


スカッパナポリの広場に面したレストランに入ってみました。『量が多くて安い!』と聞いていたのを忘れ、普通に、前菜に生ハム、それぞれパスタ、リゾットを頼み、サイドディッシュとしてキノコオムレツを頼んだ結果がこの写真。

生ハムだけで二人とも満腹になるくらいで、パスタやリゾットは半分以上残しました。オムレツに至ってはとても無理。どれも美味しかったのに残念でした。


スカッパナポリのケーキ屋さんも安くて美味しい。これは、ナポリの伝統菓子『スフォリアテッレ』です。イタリア語で"ひだを何枚も重ねた"という意味で、貝殻の形が愛らしい。


スフォリアテッレと別のケーキ、それぞれ飲み物を頼んでテーブルについていると、店のマスターがやってきて、『日本人か?どこから来たんだ?』などと話しかけてきて、これはサービスだと出してきたのがこの写真のケーキ。

ナポリ名物の2つの種類のケーキを組み合わせて、卑猥な感じにして喜んでいます。

サービスだよね、と確認して、値段を吹っかけてきたら文句を言おうと思っていたら、飲み物も含めて全部で10ユーロほど。本当にサービスだったんだな、それにしても安いなあと感心しました。


すごいのは、ナポリ市内に無傷の車が走っていないこと。どの車もボコボコの傷だらけです。パトカーでさえ、ボコボコなのをみて感心しました。

ボコボコの車と胡散臭そうなイタリア人。危ない感じなので、タクシーに乗る時には、必ず乗る前に行き先を伝え、いくらで行くのか値段を確認してから乗りました。市内なら10ユーロ以下、少し郊外なら15ユーロです。メーターを装備しているタクシーもいて、10ユーロと言ったのにメーターどおり8ユーロしか請求しない。意外と正直なんだなあと思いました。


花火

さて、大晦日になりました。花火は深夜12時に始まる筈なのですが、もう11時頃から街のあちこちで打ち上げ花火が炸裂しています。練習なのでしょう。

零時になると、すぐ近くでも打ち上げ花火が始まりました。中心市街をみると、どこもここも花火が上がっています。零時から約1時間。花火が途切れることはありませんでした。

通りはまるで戦争状態。花火を下に向けたり、水平に打つ人も多いのでとても危険です。


写真では良く分かりませんが、ナポリ湾に沿って花火が上がっているのが分かります。ナポリだけでなく、ナポリ湾一帯の文化なんですね。


一夜明けた次の日、通りのあちこちに打ち上げ花火の残骸がありました。

タクシーの運ちゃんによると、花火を自分で手作りする人が多く、事故も多く起こっているようです。死人も出て、ここ数年は低調になっているとのこと。


元旦にスカッパナポリを歩いていると、コンサートのポスターがありました。弦楽四重奏に歌手もついて、ひとり15ユーロです。

コンサート会場は古い教会のような建物の中。音響効果が良くて、女性のソプラノもとってもいい響きでした。


ナポリの地下遺跡

ナポリの旧市街の地下には、ギリシア時代の巨大遺跡が残っています。古い町の上に新しい町を作ってきた歴史があり、下に行くほど古くなります。

ローマ時代には、ギリシア時代の遺跡は地下貯水槽として使っていたとのこと。近代になると防空壕として使用されたようです。

地下に入ると一定の温度なので、夏は涼しく、冬は暖かく感じます。


階段を降りてギリシア時代の通りにでました。石畳の道の両側に店が並んでいます。昔のパン屋さんの遺跡もありました。


ポンペイ

紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火により埋没した古代都市ポンペイ。

もし、私が世界の訪れた観光地の中で一番良かった観光地はどこだ?と聞かれたなら、迷いなくポンペイと答えます。

今回はうちの奥さんにも見せてあげたくて、一緒に来ました。

もし、時間があれば、近くの町に宿泊して、1日以上の時間をかけてポンペイの遺跡に身を置くといいと思います。視野に入る全部の建物がローマ時代のまま。ローマの人々の息づかいが聞こえるようでした。


約2万人の人口を持つ中小都市だったポンペイ。道路や上水道、下水道が整備され、宿屋からレストラン、居酒屋、クリーニング屋、そして売春宿に至るまであって、ローマの人々がどういう暮らしをしていたかが分かります。


ローマ人といえば、日本人と同じくお風呂好き。ポンペイにも大きな浴場施設があって、蒸し風呂や浴槽などが残っています。この当時は男女混浴だったそうです。

神殿、競技場や劇場、浴場など、現在の都市にあるものは殆ど全て揃っていますが、現在の都市にあってポンペイに無いもの。それは病院です。

ローマの人々は、上水道や下水道を整備し、競技場で汗を流し、お風呂に入って身体を清潔に保ち、健康に気をつけつつも、一旦不治の病と悟った時には従容として死を受け入れ、自ら食を絶ったといいます。限られた現世を力いっぱい生きるという、ローマ人の精神を感じるような町並みだと思うのです。


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