若者のための新しい政治家の出現を望む

Hope to have a new politician for young generation


「日本じゅうの家庭に団らんの笑い声があふれ、年寄りがやすらぎの余生を送り、青年の目に希望の光りが輝やく社会をつくりあげたい」

田中角栄の言葉だそうです。高等教育を受けず土建屋から叩き上げた政治家だからこその言葉だと思うのですが、私も政治の目的は結局のところこれだと思うのです。

20世紀はイデオロギーの時代でした。政治や社会のあるべき姿についての理念の体系をイデオロギーと呼びますが、20世紀には、資本主義と社会主義のイデオロギーの対立があり、世界が東西に分裂して、核の抑止力のもとで危うい平和を保った冷戦 がありました。

多くの若者がマルクス主義を学び、特に日本では戦前の価値観が崩れる中で戦後教育を受けた若者たちは、マルクス主義だけでなく「安保」とか「原発」とか「基地」などの社会全般にわたって、現実よりも理念を重視する風潮が流行りました。より「純粋な」理念を持つ者の方がより強い発言権をもった時代でした。

そのイデオロギーの時代は、社会主義の凋落、終焉のもとで終わった筈なのですが、21世紀になっても、一部のメディアや、戦後世代の少しイタい大人たちに残りました。そして、いまなお、イデオロギーに魅了され、帰依する人々があとをたちません。

『神の国をつくる』とか、『平等な社会をつくる』とか、『原発の無い社会をつくる』とか、『戦争の無い世界をつくる』といった、それ自身は一見、正しく崇高な理念であっても、イデオロギーが先行したとたん、おかしくなります。

たとえば、『平等を目指した社会主義は、支配階級と一般国民が別れた時点で失敗した』という現実、『原発には確かにリスクがあるが、原発を止めるリスクの方が比較にならないほど大きい』という現実、戦争を防ぐためには、『戦争は、挑発すべきではないが恐れてはいけない』という現実を無視しては、その理念の最終目的とするところから遠ざかるばかりです。

ところが、一途に思い込んだ正義ほどやっかいなものはなく、イデオロギーに魅了され帰依した人間は、その失敗を認めず、どんなことになろうと、『善意から出た行動が、悪い結果に結びつく筈がない』と考えます。そして、そのイデオロギーを標榜する国家や組織が犯した悪や失敗を認めようとしないという傾向があります。いくら悪や失敗についての明白な証拠を挙げて説得しようとしても、別の論理やデータを持ってきて自分自身を騙してしまうのです。

福島において、一部のメディアや活動家、そして有名人たちが、客観的で科学的な事実に基づかず、風評被害を拡大し、現実に被害が無いことが分かってきた時には、ウソの情報まで垂れ流して、被災者を助けるどころか自分たちのイデオロギーのために足蹴りにしている状況は、その一例だと思います。

今の若者世代は、一部の「イデオロギーに帰依した人」を除いて、戦後世代によるイデオロギー先行の政治の欺瞞性を見抜いています。イデオロギー先行型の民主党が政権をとっても、それによって自分達の世代の暮らしが良くなった訳ではない。むしろ、原発を止めて莫大な国富の流出を招き、無駄な社会保障に税金を使われ、景気は沈滞して就職が難しくなり、ブラック企業の増加を招いた。福島で無駄な除染を行う、5.1兆円もの金があるなら、若者世代のために使って欲しいと考えています。

一方で、世代間に大きな不公平があるのも見抜いています。戦後世代のイタい大人たちが、『平等な社会の実現』を言うのであれば、現代の日本でもっとも不公平がある世代間の問題をこそ解決すべきです。

大きな問題だと思うのは、社会保障給付など税金をもらう有権者の数が、税金を払う有権者を上回るという状況です。橋本前大阪知事の挫折を招いた大阪での選挙の結果も、もし、税金を払う有権者のみで選挙を行っていたら違う結果だったでしょう。議会民主制は、納税者が税金を使う政府を監視するための制度ですから、税金を使う側が多数になったら意味がありません。

税金を貰う側が税金を払う側より多くなった場合は、有権者を納税者のみに限るべきですが、その法案を通すことは困難でしょう。従って、対策のひとつは、選挙年齢を引き下げて、若者の有権者の数を増やすこと(これはいま現実になりましたが)、そして、もうひとつは若者の投票率を上げることです。豊かな老後世代がより豊かになり、貧しい若者世代がより貧しくなる法案が議会を通るようでは、日本の未来はないと思います。

戦後の高度成長の果実のみを取り、食い逃げしようとしている老人世代から搾取する政治を行う必要があります。個人の権利だけを主張し、共同体に対する義務を忘れたイタい大人たちから搾取し、若者に生き甲斐を与え、生活を向上させる政治でなくてはならないと思います。

イデオロギーに血道をあげる政治は終わり、現実に冒頭に書いた政治の目的を果たす、そういう政治を目指す時代になっています。特に『青年の目に希望の光りが輝やく社会をつくる』ことこそが、今の政治に求められていることでしょう。

そういう政治を行うためには、現実を冷徹にみつめ、未来を見通し、大局的な視点から政策を決めることのできる政治家が必要です。安定した政権も必要でしょう。そういう政治家が現れた時、有権者の側も、浅薄なメディアに踊らされることなく、政治を託すべき人物を選び、そして、外交や安全保障といった専門的で判断の難しい事柄に関してはその政治家を信頼する聡明さが必要と思うのです。