SEALDsは何も分かっていない

SEALDs knows nothing


ニュースで「民主主義ってなんだ」と叫ぶSEALDsを見るたびに、ああ、何重にも分かっていないんだなあと思います。

最も単純な原理である『多数に少数が従う』ことさえ分かっていないのだから、『多数が反対しても、やらなければならない事がある』なんて、絶対に分からないだろうなあ。



有権者は自分の市町村のことについては正しい判断を下せますが、県や地方レベルになると怪しくなります。まして、大局的な判断や多くの情報を必要となる国レベルのこと、特に外交や防衛、エネルギーといった極めて専門的な事について正しい判断を下すのはとても難しいことだと思います。

もちろん、国レベルのことについて、すべての有権者が正確で客観的な情報をもとに、正しい判断ができれば理想ですが、現代のように世界全体の規模が大きくなり、複雑化している状況では、それは理想論であって現実的ではありません。理想論(イデオロギーと言ってもいいと思いますが)が先行する政治は必ず失敗します。世界がもっと小さかったギリシャ時代でさえ、世界最初の直接民主制を実現したアテネは、ペリクレスが実質的な独裁者であった時期はうまく機能しましたが、すぐに衆愚政治に陥り衰退を招きました。

現代の議会民主制というのは、大局的な見地から理性的な判断ができる『政治のプロ』を信任投票することであって、国レベルの事をひとつひとつ有権者が判断することではありません。繰り返しますが、人類の歴史をみれば、民意で国の方針を決めた場合には容易にポピュリズムに陥り、衆愚政治のあげくにその国は間違いなく滅びています。


民主制でもっとも注意すべきは、”民意の暴走”です。金や太鼓で騒ぎまくる"Noisy minority"に軽薄なメディアが乗っかり、感情的な”空気”を醸成してしまうと、国としての大局的な判断を誤ることになります。日本が無謀な太平洋戦争に突っ込んでいった原因、最近では福島原発事故における除染や食品規制における過剰な対応はその例だと思います。

政治の大きな役割は、この”民意の暴走”から共同体を守ることです。責任ある政治家は、安易なポピュリズムに陥ることなく、『多数が反対しても、やらなければならない事』はやるべきです。いずれ歴史がその名誉を守ってくれるでしょう。

民主制の劣化を防ぐには、メディアによる正確で客観的な情報と、世論(せろん)でなく輿論(よろん)(注1)の醸成、有権者の責任ある判断が必要なことは言うまでもありませんが、有権者の判断の及ばない極めて専門的な事項に関しては専門家や政治のプロを尊重するという聡明さも必要なのではないでしょうか。

注1)世論(せろん)と輿論(よろん)の違い
世論:世間一般の感情。英語では、Popular sentiment
輿論:人々の議論、あるいは議論に基づいた意見。英語では、Public opinion
当用漢字制定以前は区別されていたが、「輿」の字が使えなくなって世論と書いても「よろん」と読むようになった。日本で世論調査という場合、多くは世間一般の感情(つまり"空気”)の調査なので、TVのニュースでは「せろんちょうさ」と読むべきであって、「よろんちょうさ」と読むのは、誤解を与え、ミスリードするものと思う。



学生へ・・・

戦争反対のコンサートとか、映画とか、感情に訴えるものに対して、学生時代は特に注意する必要があります。学生時代というのは、本を読み、思索し、自ら理性的に考える力をつけ、世の中のさまざまな現象の本質を理解する訓練を行うための人生の貴重な時間です。

『かわいそう!』、『嫌なものはイヤだ』、などという感情だけで、学生時代の貴重な時間を無駄にしていると、物事の表面しかみない”浅い”人間になってしまうよ。SEALDsみたいに・・・



SEALDsを賞賛する芸能人や文化人について

ひとつの芸を極め、有名になったからといって、自分の考えの及ばない分野のことまで訳知り顔で意見を言うのは、その人の品格を貶めるものです。それをもてはやすマスコミにも問題があるけどね。

確かに、この国では言論の自由は保証されていますが、有名人は『その発言が引き起こす事についての責任もある』ことを忘れてはならないと思います。