鳥越俊太郎氏の因果応報


都知事選のあと、鳥越俊太郎氏がTV番組に出演し、出馬の動機などを話しているのを見て、呆れるを通り越して可哀想になりました。

曰く、『国会で改憲勢力が2/3に達しているのをみて、戦争を経験している世代として、平和憲法を守らねばならぬ、戦争を起こしてはいかんと思った。』とのこと。

国政でなく何で都知事選でという錯誤はともかくとして、全く、少しイタイ大人の典型で、経験だけに学んで、歴史に学んでいない。『平和憲法』と唱えていれば戦争が起きないという『お花畑理論』に凝り固まり、戦争を起こさないために、どう日本は対応すべきか(注1)という観点が抜けています。

日本を揺るがせた、60年安保、70年安保にも鳥越氏は参加していたと思うのですが、多くの文化人や学生、労働者が国会を取り囲み、『安保協定によって日本は戦争に引きずり込まれる』と叫んだ人々は、結局、間違っていた訳です。日米安保によってこそ、70年の平和が守られたというのは歴史的事実です。実際、ソ連のスパイなどが暗躍し、日本の道を誤らせようとしたという事実もあります。

60年安保によって岸内閣は退陣しましたが、あれだけの反対運動にもかかわらず、政治生命をかけて安保協定を締結したという事実は、歴史が評価するところです。

逆に、鳥越氏をはじめとして、『安保協定で日本は戦争に引きづり込まれる』と叫んだ、ジャーナリズム、文化人、学生たちは間違っていたのです。その反省もなく、単純な『お花畑理論』を未だに信奉し、『思いつき』で都知事選に出馬をした、それを民進党が公認をした、という本当に呆れるばかりの出来事だった訳です。

まさか当選したりはしないだろうと思っていましたが、週刊誌による『下半身疑惑』が命取りになりました。

思い起こせば、鳥越俊太郎氏を一躍有名にしたのは、1989年6月、就任間もない宇野宗佑首相の愛人問題を報じ、結果的に7月の参院選で自民党大敗・内閣退陣に追い込んだことでした。

当時、政治家の下半身問題は報じないというのが不文律でした。田中角栄などは、神楽坂に愛人を囲い、愛人宅からの出勤・退勤に合わせて神楽坂の一方通行の方向を決めたなどの逸話があり、『英雄色を好む』は当たり前の話でした。要は、政治家は良い政治ができれば良いという日本の伝統を砕き、現在に至る『政治家の不倫はダメ』という流れを作った張本人といえます。

その張本人が、自身の下半身疑惑によって選挙に落ちたというのは、『因果応報』(注2)だなあと思うのです。


注1)冷戦が終わり、世界は民族主義、局地戦争の時代に入っています。この時代にあって、平和を守り、戦争を回避するためには、各国からの多くの情報を集め、必要ならスパイも監視衛星もネットワークも使い、それらの情報を分析し、それに基づき、臨機応変に対応する、綱渡り外交が必要です。国会でのんびりと民進党のお花畑理論に対応している場合ではなく、それらの検討が可能な秘密委員会を国会に作り、外務省や官邸とどう連携するかといった議論こそが必要だと思うのです。

注2)『因果応報』といえば、みのもんた氏。おもいっきりテレビなどのキャスターとして、『こんな事をして親の顔がみてみたい』などの発言をして人気を博していました。いわば、お茶の間に迎合する『空気の操り手』として君臨していた訳です。それが、自身の息子の不祥事によって、キャスターとしてのいろいろな番組を降板することになったのも『因果応報』なのでしょうね。